日本で最初に鎖国を解いた「開国のまち」
下田エリアの観光音声ガイド
下田エリア紹介
伊豆半島南部に位置する下田市は、青々とした太平洋と豊かな緑に囲まれた港町です。
幕末に日米和親条約が結ばれた際、真っ先に港を開いた「開国のまち」として知られており、了仙寺や玉泉寺など、開国の逸話が散りばめられた名所や史跡が多くあります。
毎年5月に催される「黒船祭」は、ペリー来航にちなんだ下田の一大イベント。
この時期には了仙寺のアメリカジャスミンが花開き、辺りは大変芳しい香りに包まれます。
下田のもうひとつの見所は、太平洋沿岸の景勝地。
天窓から温かな光が差し込む天然の洞窟「龍宮窟」や、恵比須島の千畳敷をはじめ、美しい自然の造形と透明度抜群の海が人々を惹きつけます。
また、その海で獲れるキンメダイは下田自慢の名産品。刺身や煮付けだけでなく、ハンバーガーやコロッケなどユニークなキンメダイご当地グルメもお楽しみ下さい。
A 下田海中水族館
B 下田ロープウェイ
C ペリーロード
D 宝福寺・唐人お吉記念館
E 了仙寺・MoBS 黒船ミュージアム
F 道の駅 開国下田みなと
G 黒船遊覧船 伊豆クルーズ
H 下田の足湯(開国の湯・海遊の足湯)
I 玉泉寺・ハリス記念館
J 龍宮窟
K 恵比須島
L 白浜神社
M 上原美術館
N 爪木崎
O 田牛サンドスキー場
P 旧澤村邸
Q まどが浜海遊公園
R ペリー艦隊来航記念碑
S 安直楼
T 下田八幡神社
U 吉田松陰寓寄処
V 和歌の浦遊歩道
W 土藤商店 蔵ギャラリー
X ロロ黒船
Y 長楽寺
Z ハリスの小径
下田公園
A
下田海中水族館
しもだかいちゅうすいぞくかん
下田海中水族館は、1967年に開館した歴史ある水族館です。
「海中」といっても海の中にあるわけではなく、天然の入り江に浮かぶ円形の船「アクアドームペリー号」が水族館そのものというユニークな造り。
この水族館の最大の魅力は、生き物との距離が近く、間近で見て、触れて、楽しめる点にあります。
とりわけ、イルカのプログラムに力を入れており、波打ち際でイルカに触ったり、一緒に泳いだりと、多彩なコースを用意。
ほかにもペンギンやアザラシなど様々な生き物と触れ合う機会が設けられ、なかでもコツメカワウソのマメタとワサビは水族館きっての人気者。
エサを求めて一生懸命ひとの手にぺたぺた触れるその姿は、格別の愛らしさです。
一方、ライブパフォーマンスは、2種類のイルカショーに加え、アシカ、アザラシ、ペンギン、魚の餌付けと計6つのショーを毎日開催。
トレーナーとアシカが水中で共に泳ぐアシカショーや、エイのエサやりは必見です。
いずれも1日に複数回上演しているので、ぜひすべてのショーをお楽しみ下さい。
B
下田ロープウェイ
しもだロープウェイ
1961年創業の下田ロープウェイは、2019年夏にゴンドラのデザインを一新。
横浜と下田を結ぶ観光列車「ザ・ロイヤルエクスプレス」と同じ青く美しい車体に生まれ変わりました。
これに乗り込み、全長540メートル、およそ3分30秒の空中散歩で一気に寝姿山の頂上へ。
山頂では3ケ所ある展望台から、どこまでも青く広がる下田の海はもちろん、よく晴れた日には太平洋に浮かぶ伊豆諸島や、北側に連なる天城山まで見渡すことができます。
また、遊歩道を彩る四季折々の花も見所のひとつ。10月から12月にかけて咲く三色野牡丹や1月の寒桜など、冬でも花見を楽しめます。
ほかにも、縁結びの神さまとして知られる愛染明王堂では、ハート型の絵馬が人気。蓮杖写真記念館は、江戸時代後期に下田で生まれ育った日本初の商業写真家、下岡蓮杖(しもおかれんじょう)の遺品や、クラシックカメラと呼ばれる大変貴重な写真機が展示されています。
新しく頂上レストランもオープンし、より一層魅力を増した下田を代表する観光名所です。
C
ペリーロード
1854年の日米和親条約により、ペリー艦隊が続々と下田に来航。
下田条約交渉のため、祝砲をあげ、軍楽隊の演奏で300人の水兵が鉄砲を肩にかけ了仙寺まで行進。下田の人々を驚かせたと言われています。
その時ペリー提督率いる一行が歩いた道こそ、このペリーロードです。
現在は、柳の枝が揺れる平滑川に沿う石畳の道に、伊豆石を使った古い洋館や古民家を改装したレストランが立ち並び、川にかかる石橋まで絵になる落ち着いた景観に注目が集まっています。
また、周辺には長楽寺や、「唐人お吉」の料亭跡「安直楼」など歴史的な名所が点在。地図を片手に散策をお楽しみ下さい。
なお、通りを歩くと所々で見かけるなまこ壁。黒地に白いひし形が連なるこの壁は、元々は江戸時代に相次いだ火災や安政東海地震を受け、防災に優れた建築として用いられたものです。
現在、伊豆では下田市と松崎町でこのような建築が多くみられます。
D
宝福寺・唐人お吉記念館
ほうふくじ とうじんおきちきねんかん
宝福寺は、室町後期にあたる1559年創建の古刹で、坂本龍馬ゆかりの寺として知られています。
土佐の龍馬が何故、伊豆の小寺に関係しているのか。
それは、幕末の1863年、土佐藩を脱藩した龍馬の赦しを乞うべく、勝海舟が宝福寺に滞在していた土佐藩15代藩主の山内容堂を訪れたことによります。
この話し合いにより、龍馬は晴れて無罪放免。
この後、自由の身となった龍馬が近代日本の幕開けに多大な貢献を果たしたことを鑑みると、宝福寺での謁見がいかに歴史的に重要な出来事であったかがわかります。
一方、時を同じくして、「唐人お吉」と呼ばれる女性がいました。お吉は17歳でアメリカの総領事 ハリスのもとへ奉公に出されたことで、外国人に仕えた女として世間から侮蔑の目を向けられ、やがて乞食となって自ら命を断ちます。
これを不憫に思った宝福寺の住職がお吉の遺体を供養。境内には「お吉記念館」がつくられ、お吉にまつわる貴重な資料や遺品が展示されています。
E
了仙寺・MoBS 黒船ミュージアム
りょうせんじ・もっぶす くろふねみゅーじあむ
了仙寺は「開国のまち」下田を語る上で最も重要な場所のひとつです。日米和親条約が結ばれ、下田の開港が決まった1854年、ペリー提督率いる一行が下田に来航しました。
この了仙寺で和親条約の細かい取り決め、すなわちアメリカ人がまちを歩く時の規定や、買い物の方法などが定められ、これが地元住民と外国人の異文化交流の基盤となりました。
また、ここは「ジャスミン寺」としても知られており、5月になると境内からペリーロードにかけ、1,000株のアメリカジャスミンが花開きます。
この花はニオイバンマツリ(匂蕃茉莉)とも呼ばれ、咲き始めは濃い紫、それが次第に薄くなり、最後は白く変色する花で、夏や秋に返り咲きすることもあります。
境内に併設の「MoBS黒船ミュージアム」では、「日本人が見た外国人・外国人が見た日本」をテーマに黒船来航の歴史をわかりやすく紹介。
教科書やテレビで見る黒船や開国に関する画像のほとんどはここに所蔵されているもので、日本有数のコレクションを誇ります。
F
道の駅 開国下田みなと
みちのえき かいこくしもだみなと
下田観光案内所とふたつのミュージアム、新鮮な海の幸を味わえる食事処に加え、海産物の直売所も備えた「道の駅 開国下田みなと」。海側は2階建て、山側は4階建て。近代的なデザインが施されたユニークなこの建物は、元々は教育施設だったものです。
2階の観光案内所では、マリンスポーツや工芸体験、歴史ツアーの案内をはじめ、各施設のパンフレットや割引券の配布、前売り券の販売なども行っています。
4階の「かじきミュージアム」は、カジキ漁に特化した珍しい展示。毎年夏に開催される「国際カジキ釣り大会」の会場となる下田ならではのテーマです。
併設の「ハーバーミュージアム」で下田の歴史も学んだ後は、テラスで下田湾を眺めてひと休み。セルフサービスで無料の飲み物も用意されています。
目の前には下田市魚市場、黒船遊覧船の乗り場もあり、下田観光の出発点としてぜひご利用下さい。
G
黒船遊覧船 伊豆クルーズ
くろふねゆうらんせん いずくるーず
「下田港内めぐり」は、黒船「サスケハナ」で下田港をぐるりとまわるおよそ20分のコースです。
大海原に白波を引いて進む遊覧船からは、「女性が仰向けに寝ている姿」と形容される寝姿山や、赤い鳥居が目印のみさご島、細長い防波堤で陸とつながる犬走島などが望めるほか、秋から春にかけてはカモメが飛び交い、船の上で直接カモメにエサをあげることもできます。
「サスケハナ」は、1853年にペリー艦隊が浦賀にやってきた時の旗艦の名前で、もとはアメリカ先住民の言葉です。
漆黒の船体は、木製の船を水と腐食から守るために塗られた樹脂によるものでした。
下田には翌1854年の春に計7隻の船が来航し、いよいよ港を外に開くこととなります。このような歴史は、航行中に船内放送があるほか、「下田開国博物館」でも詳しく紹介されています。
なお、伊豆半島最南端の石廊崎からも「石廊崎岬めぐり」という遊覧船が出ており、こちらは断崖絶壁が連なる雄大な海岸線が見所です。
H
下田の足湯(開国の湯・海遊の足湯)
しもだのあしゆ(かいこくのゆ・かいゆうのあしゆ)
伊豆半島には各地で温泉が湧いており、下田も例外ではありません。温泉旅館や日帰り温泉はもちろん、無料で利用できる足湯も各所に設けられています。
代表的な足湯は「開国の湯」。伊豆急下田駅駅舎の外側にある足湯で、下田らしいなまこ壁の背景は、写真撮影にもぴったりです。
一方、「海遊の足湯」は下田港に面したまどが浜海遊公園にある足湯です。
こちらは潮風にあたりながら海を眺めてひと休みできる大変気持ちの良いスポット。
広々とした公園のすぐ近くには、「道の駅 開国下田みなと」や黒船遊覧船の乗り場もあります。
まちの中心部を東西に走る大横町通りでは、商店街のあちこちに9つの足湯と手湯を設置。
余った温泉を有効活用する目的で、文房具店や菓子屋の前に小さな桶が置かれています。ほかにも蓮台寺にある「吉田松陰寓寄処」近くの「松蔭通りの足湯」など、いずれも観光のついでに気軽にお立ち寄り下さい。
I
玉泉寺・ハリス記念館
ぎょくせんじ はりすきねんかん
下田湾を見下ろす高台に位置する玉泉寺。もとは真言宗の草庵だったところを、1580年代に曹洞宗(そうとうしゅう)へ改宗した古刹です。
この小さなお寺が歴史の舞台に選ばれたのは、幕末のこと。日米和親条約が結ばれた2年後の1856年、アメリカ人のタウンゼント・ハリスが下田に来航。
この玉泉寺に日本初の米国総領事館を設置しました。以降2年10ヶ月に渡り、ハリスは下田で駐日領事の任務に就きます。
敬虔なキリスト教徒で、下田の人々に敬意を払い、牛乳を好んだハリスにまつわる遺品や資料は、境内に併設の「ハリス記念館」に多数展示されています。
境内にはほかにも、日本式の墓石に英字が刻まれたペリー艦隊乗員の墓地や、安政の大地震によって亡くなったロシア艦ディアナ号乗組員の墓、領事館時代にアメリカ人のために牛を食肉として提供した、日本で最初の屠殺場(とさつじょう)の跡など、歴史的な逸話が秘められた箇所が多くあり、見所の多い寺院です。
J
龍宮窟
りゅうぐうくつ
龍宮窟は、波が海岸に打ちつけ、岩が奥へ奥へと削られていった結果できた洞窟で、このような洞窟を海食洞(かいしょくどう)といいます。
龍宮窟の特徴は、頭上に大きく開(あ)いた穴。
波の浸食に伴いどんどん広がる洞窟の天井の一部が崩れ落ち、巨大な穴が開いています。
天窓が開いた海食洞(かいしょくどう)は、西伊豆の堂ヶ島天窓洞(どうがしまてんそうどう)が有名ですが、龍宮窟の天窓(てんまど)は伊豆半島で最大級のものです。
この穴から光が差し込み、足元に寄せる穏やかな波と、周囲をぐるりと囲む美しい地層が編み出す空間は、まさに息を飲む美しさ。
上から覗けば、左右に分かれて削られた地表がハート型の上半分に見えることで、恋愛のパワースポットとしても注目されています。
また、遊歩道から望む太平洋の大海原、雄大な伊豆の海岸線も絶景です。
北側には自然が生み出した砂の斜面、田牛(とうじ)サンドスキー場もあり、ソリ遊びに利用されています。
K
恵比須島
えびすじま
伊豆半島南部では、気が遠くなるような昔の海底火山によって形成された地形が多く残り、恵比須島もそのひとつです。島を一周するたった10分の遊歩道を歩くだけで、縞模様が美しい火山灰の地層と、ごつごつした石を埋め込んだような土石流、ふたつの地層を確認できます。
島の最大の見所は、南側に広がる千畳敷。抜群の透明度を誇る海は、磯遊びやシュノーケリングに絶好のスポットです。また、水際をよくご覧下さい。直線で切り取り、水溜りのようになっている箇所は、江戸時代に石を切り出した跡です。
晴れた日には海原の向こうに伊豆諸島や神子元島(みこもとしま)を一望できるこの島では、祀りの儀式に使われた古代の土器や焚き火の跡が発見されており、はるか昔、人々がここから海の神、島々の神に祈りを捧げていたと想像できます。なお、それらの遺跡が見つかった辺りに立つ恵比須神社は、江戸時代の1716年に創建されたもの。こちらは商売繁昌や大漁満足をもたらす神さまです。
L
白浜神社
しらはまじんじゃ
伊豆半島の南東、下田市白浜に位置し、東に太平洋と伊豆諸島を背負う白浜神社。正式名称を伊古奈比咩命神社といい、伊豆最古の神社といわれています。
ご祭神は伊古奈比咩命。縁結び・子育ての女神で、三嶋大明神のお后です。境内の見所は、樹齢2,000年の御神木「薬師の柏槙」や、枯れて1,300年経つという「白龍の柏槙」。
拝殿の向拝に刻まれた見事な龍の彫刻や、国の天然記念物であるアオギリにもご注目下さい。
伊豆半島南部では古代の祭礼の跡が多く残されており、火達山でも祀りに使用されたと思われる奈良・平安時代の土器などが見つかっています。
この儀式は現代まで受け継がれ、毎年10月の例大祭がその最たるもの。
神社裏手にある白浜海岸の大明神岩において、伊豆諸島の神々に祈りを捧げる古式ゆかしい神事です。
ちなみに室町時代には、凶作に心を痛めた白浜神社の神官が、ここで島の神々に恵みを乞うたところ、無数のさんまが浜に打ち寄せたという伝説があり、この話が白浜名物「さんま寿司」につながっています。
M
上原美術館
うえはらびじゅつかん
大正製薬名誉会長の上原昭二(うえはら しょうじ)氏が集めた近代絵画コレクションと、その両親である上原正吉(うえはら しょうきち)・小枝(さえ)夫妻が収集を始めた仏教美術コレクション。上原美術館は、ジャンルを越えた二つの美術が楽しめる美術館として、2017年にリニューアル・オープンしました。
仏教館の仏像ギャラリーでは、近現代につくられた約120体の仏像がお出迎え。自然光が差し込む明るい空間は写真撮影も可能です。奥の展示室では、奈良・平安時代の古写経や、鎌倉時代の阿弥陀如来立像(あみだにょらいりゅうぞう)など、貴重なコレクションを展示。年1~2回、伊豆の仏教文化を紹介する特別展も開催します。一方、近代館では印象派やマティス、ピカソから日本の近代絵画まで、幅広い絵画コレクションを季節ごとに展示。知名度にとらわれず、コレクター自らが気に入ったものだけを集めた個人美術館ならではの視点が魅力です。
伊豆の山々を望む開放的なラウンジで鑑賞の余韻に浸った後は、美術館の側そばにある向陽寺も訪ねてみてください。
N
爪木崎
つめきざき
下田湾の東側、須崎半島の先端に位置する爪木崎は、白亜の灯台が立つ海岸に野生の水仙と赤いアロエの花が群生する景勝地です。
ここでは毎年12月20日から1月31日まで「水仙まつり」が催され、海沿いは300万株の水仙が放つ甘い香りで満たされます。
まつり期間中は、地元で採れた食材の販売や郷土料理がふるまわれ、多くの観光客で賑わう下田の冬の風物詩です。
水仙の見ごろは冬ですが、爪木崎花園では四季折々の花を愛でられるほか、温室でブーゲンビリアや南国の果物など熱帯植物も観賞できます。
爪木崎のもうひとつの見所は、「俵磯」。
柱状節理と呼ばれる石の柱が集まる岩場は、自然が織り成す驚きの景観です。
また、ここから須崎漁港まで遊歩道が設けられ、太平洋を望む雄大な海岸線はもちろん、途中、江戸時代の灯台跡や、昔の石切り場の跡など歴史的な見所が点在。
およそ2.8キロのハイキングをお楽しみ下さい。
O
田牛サンドスキー場
とうじさんどすきーじょう
田牛サンドスキー場は、長さ45メートル、幅100メートルの砂の斜面です。
崖から削りとられて海岸にたまった石や砂が、海からくる強風によって吹き上げられたもので、傾斜角度はおよそ30度。これは、スキーでいうと上級者コース。
身近なところではエスカレーターの角度で、砂場においては自然に崩れ落ちることのない「安息角(あんそくかく)」と呼ばれる角度です。
ここでは大人も子供もソリ遊びがメインとなりますが、周囲の自然にもご注目下さい。海辺に降りる階段付近にはハマユウの群生がみられるほか、砂場を囲むむき出しの岸壁には、太古の昔、海底火山によって形成された縞模様の地層をみてとることができます。
また、砂場に向かって右手の岩場に開いた四角い穴は、かつて石を切り出した跡。
伊豆石は耐火性に優れ、なまこ壁と同じく下田の伝統建築に欠かせない材料で、伊豆半島の海岸線ではこのような石切り場の跡が多く残されています。
P
旧澤村邸
きゅうさわむらてい
ペリーロードの東の端に位置する旧澤村邸。江戸時代より下田で造船を営んでいた澤村家の一員で、下田町長も務めた澤村久右衛門(きゅうえもん)の住宅です。大正時代の1915年に建てられたこの家は、石垣に伊豆石を用い、なまこ壁が際立つ下田の典型的な伝統建築で、「下田まち遺産」に指定されています。現在は、既存の梁や木枠の窓を復原・改修し、トイレも新設。無料休憩所として一般開放されています。
中は風通しがよく、清潔で解放的な母屋の一階を見学できるほか、石造りの蔵ではギャラリーとして、下田ゆかりの作品を展示。この立派な蔵からも、澤村家の地位の高さがうかがえます。
なお、ここは下田芸者の稽古場として使われることもあり、運がよければ三味線の音色が聴こえてくるかもしれません。
Q
まどが浜海遊公園
まどかかいひんこうえん
まどが浜海遊公園は、潮風が心地よい非常に開放的な公園です。
園内には無料の足湯もあり、下田湾をゆっくりと進む黒船遊覧船を眺めながら、のんびり過ごすことができます。
赤い鳥居が立つ手前の小島は、毘沙子島(みさごじま)。
その奥に見えるのは、犬走島(いぬばしりじま)です。東側の海沿いに地続きで突き出している島は、弁天島(べんてんじま)。
吉田松陰が黒船密航を試みた島です。この下田港がペリー艦隊で埋め尽くされたのは、1854年3月のこと。7隻の船が4日に分けて続々と錨(いかり)を下ろし、計1,265人もの異国の乗組員が押し寄せました。
園内には、「開国」の象徴として米軍横須賀基地から譲り受けた大きな錨が設置されているほか、「龍馬 志の像」も立っています。
これは、ここ下田にて坂本龍馬が「蝦夷地開拓」の夢を勝海舟と語り合ったことから、人生の岐路に立ったときにふと見上げ、希望を見出せるようにとの願いを込めて造られたものです。
R
ペリー艦隊来航記念碑
ぺりーかんたいらいこうきねんひ
ペリー上陸記念公園に下田湾を背に立っているのが、「ペリー艦隊来航記念碑」です。ペリー提督の胸像を中心に、左にアメリカ大統領から贈られたメッセージの石碑、右にアメリカ海軍から寄贈された錨(いかり)が並んでいます。
下田は黒船来航の翌年、1854年に函館と共に開港した街です。
ペリー一行は日米和親条約の細かい取り決めをするべく下田を訪れ、ここからペリーロードを歩いて了仙寺で下田条約を結びました。
了仙寺に併設の「MoBS(モッブス) 黒船ミュージアム」では、黒船を迎えた下田の人たちの様子や、彼らが見た外国人を詳しく紹介しています。
なお、教科書でおなじみのペリーは、口を一文字に結んだ顔がよく知られていますが、こちらの胸像は若々しく、どこか穏やか。ちなみに、ペリー艦隊が初めて黒船で訪れた江戸湾浦賀沖、現在の神奈川県は横須賀市久里浜(くりはま)にも「ペリー上陸記念碑」があるほか、函館にもペリーの立派な全身像が立てられています。
S
安直楼
あんちょくろう
安直楼は、「唐人お吉」こと斉藤きちが1882年(明治15年)に42歳で開いた小料理屋です。
それがわずか2年で廃業した後は主を替え、寿司屋として90年代まで長く営業していました。特徴は、黒地に白いひし形が連なるなまこ壁。
下田を代表する歴史的建造物で、「下田まち遺産」に登録されています。
現在、屋内の見学できませんが、毎年3月の「お吉祭り」と5月の「黒船祭」の際には、一般公開されます。
17歳の時、アメリカ総領事 ハリスのもとへ奉公に出されたことで波乱の人生を送ったお吉。その存在は、昭和初期に発表された小説「唐人お吉」で広く知られるようになりました。
ヒロインの悲劇に満ちた物語は戯曲や映画にもなり、細かい出来事の信憑性は議論の余地があるといわれています。
なお、「唐人」とは当時、外国人を表した差別的な表現です。お吉にまつわる資料は、同じ下田市内にある宝福寺の「唐人お吉記念館」にて展示されています。
T
下田八幡神社
しもだはちまんじんじゃ
下田八幡神社の創建は不明ですが、鎌倉時代にあたる1288年頃にはすでにここにあったと伝えられています。
ご祭神は誉田別命。
八幡神として知られる応神天皇でもあり、文武の神様です。
見所は、橋の側で横たわるように立つ見事な松にはじまり、参道脇には樹齢約400年のご神木。立札にある「びゃく槙」とは、イブキの別名です。
立派な神門をくぐると、拝殿前では豪快に笑っているような狛犬がお出迎え。
その奥の権現造の本殿は、1986年に再建されたものです。さらに、仁王像や鐘楼堂もあることから、神仏習合の名残りが見て取れます。
毎年8月に催される下田八幡神社例大祭は、江戸時代から続くこの地域の一大行事。
下田太鼓祭りとも呼ばれるこの祭は、太鼓台や神輿がまちを練り歩く、下田の夏の風物詩です。
U
吉田松陰寓寄処
よしだしょういんぐうきしょ
静岡県の指定文化財に登録されているこの茅葺の家は、歴史に重要なかかわりがあります。
1854年3月、吉田松陰と弟子の金子重輔は、ペリー率いる黒船でアメリカへ密航するべく、下田へやってきました。
滞在中、皮膚病の治療にと訪れた蓮台寺の共同湯で、医師の村山行馬郎と出会い、彼の家に身を寄せます。その家こそ、この吉田松陰寓寄処です。寓寄とは「一時的に他人の家に身を寄せる」こと。外から見ると平屋に見えますが、梯子でのぼれる2階があり、松陰たちはそこに身を隠していました。
もしこの時に村山氏が松蔭の企てを表沙汰にしていれば、歴史は大きく変わっていたかもしれません。
ここでは現在も、松陰が使用した机や硯、食器などを見ることができます。
また、松陰が入っていたという二層式の浴槽は、中央の間仕切りが底板と離れており、下の方に少し隙間があいている珍しい造りにもご注目ください。
なお、近くには「松陰通り」という足湯があり、無料で利用できます。
V
和歌の浦遊歩道
わかのゆうほどう
和歌の浦遊歩道は、鍋田浜海岸から下田海中水族館まで入り江沿いに続く、約2.5キロメートルの散歩道です。
道中には、太古の火山噴火による地層や奇岩がみられるほか、江戸時代に船の検問を行っていた下田御番所跡、昭和初期に建てられた石灯篭などが今も残っています。
また、作家 三島由紀夫も下田に滞在中ここを散歩していたと伝えられており、短編小説「月澹荘綺譚」には和歌の浦が細かく描写されています。
穏やかな波が揺れるこの静かな入り江は、実は2015年に発表されたフランスの「ミシュラングリーンガイド」でふたつ星を獲得した観光名所。
「ミシュラングリーンガイド」は観光地の格付けガイドブックで、ふたつ星は 「寄り道する価値がある」という位置付けです。ちなみに、下田では下田開国博物館や了仙寺、玉泉寺もふたつ星を得ています。
W
土藤商店 蔵ギャラリー
つちとうしょうてん(くらぎゃらりー)
1887年(明治20年)創業という老舗の酒屋、土藤商店。
向かいにある酒蔵(さかぐら)が、「蔵ギャラリー」として無料で公開されています。
ギャラリーの中は、昭和世代にとっては懐かしいホーロー看板や、風格ある木製看板、さらに明治時代の領収書やガラスでできた写真原版など、非常に貴重なものが所狭しと並ぶ圧巻の見応え。いずれも趣味で集めた骨董品と違い、130年以上続く商売を通じて積み重ねられてきた、この店の歴史そのものです。
ギャラリー見学後は、ぜひ店舗にもお立ち寄りください。伊豆や下田の地酒もさることながら、おすすめは「保命酒(ほうめいしゅ)」。江戸時代に公家や上級武士の間で飲まれていた薬用酒です。広島で造られているお酒ですが、ペリーが来航した際には、幕府がもてなしの食前酒として提供したと伝えられており、この土藤商店でも下田版のラベルで販売しています。
ほかにも、伊豆産の食べ物や酒袋(さかぶくろ)を利用した雑貨など、アルコール以外の商品も豊富。思いがけないお土産が見つかるかもしれません。
X
ロロ黒船
ろろくろふね
ペリーロードから北へ歩いて5分ほどのところに構える「ロロ黒船」は、1969年創業の和菓子店です。
「ロロさん」と親しまれているその名前は、「口々においしい噂が広がるように」という願いを元に、漢字の「口」をカタカナの「ロ」に見立てて名づけられました。
こちらの店では、伝統的な和菓子に西洋の要素を加えることで「開国のまち」を表現。
モダンで個性的なお菓子を生み出しています。
とりわけ材料には強くこだわり、伊豆・下田の食材はもちろん、砂糖にいたっては10種類以上を使い分けるほど。また、通販や委託販売は一切行っておらず、店頭での対面販売を大事にしています。
下田では、地元の歴史と風土が育む逸品を「下田ブランド」として推奨しており、「ロロ黒船」からは「開国キャラメル」や「ここ下田」などがそれに選ばれています。
目移りする商品の中、ペリーや黒船など美しい絵柄を用いたパッケージにもご注目ください。
Y
長楽寺
ちょうらくじ
下田の町中にひっそりと佇む長楽寺。江戸時代にはここの鐘が港に鳴り響き、時を知らせていたといわれています。
この寺院が歴史の舞台に登場するのは、黒船来航の翌年である1854年。ここで日露和親条約が結ばれ、さらに日米和親条約の批准書(すいきんくつ)が交換されたのです。批准書(ひじゅんしょ)とは同意書のようなもので、国家間でこれを交換することにより、条約に効力が生じます。
明治になると寺は一旦廃止されてしまいますが、その後、宝光院長命寺と併合。薬師如来と聖観世音菩薩をご本尊に、再興しました。境内には下田の歴史が詰まった宝物館があるほか、ずらりとならぶ仏像も見事。水琴窟の涼やかな音色もお楽しみください。
ちなみに併合した長命寺は、吉田松陰がアメリカ密航に失敗した際、自ら出頭し拘禁された場所で、現在は跡地である下田中央公民館の前に、石碑が立てられています。
Z
ハリスの小径
はりすのこみち
ハリスの小径は、下田湾に沿って柿崎から福浦まで南北に続く遊歩道です。
1856年にアメリカから下田にやってきたタウンゼント・ハリスは、柿崎の玉泉寺にアメリカ総領事を構えました。
滞在中、ハリスは暇さえあればまちを散歩していたと伝えられており、下田港ののどかな風景が広がるこの海沿いも、現在と道の形は違えど、当時ハリスが歩いていたことでしょう。
遊歩道の途中に見える海上で、一直線に並ぶ台形の石積みは、旧海軍の「石炭積み出し桟橋跡」です。
その先には、「悠久の平和」の石碑と共に、特攻艇、いわゆる「人間魚雷」の格納壕も見られます。
また、ここから黒船でアメリカに渡ろうとした吉田松陰の志を称える石碑や、「帆船時代の水汲み場跡」など、幕末から昭和にかけた遺跡が点在。
ほかにも、「女性が仰向けに横たわる姿」に形容される寝姿山は、この小径から望むとその形がよくわかります。
下田公園
しもだこうえん
下田湾を望む小高い丘に位置する下田公園。毎年6月に行われるあじさい祭では、300万輪が咲き誇るというアジサイの名所です。
園内には開国記念碑や幸福稲荷神社、日本における商業写真の開祖といわれる下岡蓮杖(しもおか れんじょう)の碑があるほか、冬から春にかけてはツバキも見所。
三ヶ所ある展望台では、眼下に下田港や太平洋の素晴らしい景色が広がっています。
緑豊かな敷地は坂道が多く、軽い運動を兼ねた散策に最適です。
一方、ここは戦国時代には後北条氏(ごほうじょうし)率いる小田原水軍の要となる下田城(別名 鵜島城(うじまじょう))があり、城山公園とも呼ばれています。
現在も主郭、すなわち本丸の高台跡や、畝堀(うねぼり)の跡が残っていますが、素人目にはわかり辛いかもしれません。
なお、「道の駅 開国下田みなと」では、下田城の全体模型が展示されています。