豊かな海と近代遺産を巡る旅
「佐世保・ハウステンボス」の観光音声ガイド15選
佐世保エリア
長崎県北部の佐世保市は、世界中から観光客が訪れる「ハウステンボス」と、「世界で最も美しい湾」のひとつと謳われる九十九島を有する、観光都市です。
江戸時代には平戸藩とゆかりが強く、かつて宿場町として栄えた江迎町や、平戸藩の御用窯として作られた三川内焼、創業300年を越える酒造など、歴史的な遺産も多く遺されています。また、潜伏キリシタンの移住地として有名な黒島は、「黒島の集落」として世界遺産に登録されました。
明治に入ると、佐世保鎮守府の開庁とともに急速に発展。戦後は、アメリカ海軍と海上自衛隊が共存する港まちになりました。このため、佐世保バーガーや海軍ゆかりの洋食メニューなど、庶民の食文化に大きな影響があらわれています。
一方、佐世保は洞窟遺跡のまちとしても知られており、その数は国内最多。旧石器時代の土器が出土した泉福寺(せんぷくじ)洞窟や福井洞窟が有名です。
島々が織り成す美しい風景に酔いしれ、海の恵みをいただく。佐世保の旅はゆったりとした時間が流れています。
A ハウステンボス
B 無窮洞
C 針尾無線塔
D 佐世保港
E 福石観音 清岩寺
F 旧佐世保鎮守府凱旋記念館(佐世保市民文化ホール)
G 弓張岳展望台
H 九十九島水族館海きらら
I 九十九島動植物園森きらら
J 展海峰
K 泉福寺洞窟
L 福井洞窟ミュージアム
M 黒島
N 江迎本陣 山下家もと蔵(潜龍酒造株式会社)
O 佐世保のグルメとお土産
A
ハウステンボス
ハウステンボスは、ヨーロッパをモチーフにしたテーマパークです。開業は1992年。開園当初の、四季折々の花と西欧の街並みが織り成す美しい世界観はそのままに、ショーや花火、イルミネーション、デジタル技術を駆使したアトラクションを用いて、訪れる人を魅了します。
ハウステンボスのユニークな特徴は、その成り立ちです。
元々ここは汚染された埋立地でした。そこを土壌の改良から手がけ、運河を建設。40万本の木と30万本の花を植えたのです。
さらに、パーク内の道や運河には、煉瓦と石を使用。コンクリートと違い、雨がきちんと土にしみこむ造りです。また、排水は浄化処理を行い、再利用するなど、徹底して環境保全に取り組んでいます。
オランダ語で「森の家」を意味する「ハウステンボス」。人と自然が共存する場所を目指したこの名前は、今ではすっかり定着し、町の名前も「佐世保市ハウステンボス町」となっています。
テーマパークとしての面積は、日本最大。「街歩き」が醍醐味ですが、広大な敷地の移動は、パークバスやカナルクルーザーも便利です。
B
無窮洞
むきゅうどう
無窮洞は、第二次世界大戦中に国民学校の児童と教師の手によって築かれた防空壕です。2年間に渡る工事は、昭和20年8月15日、未完のまま終わりました。「無窮」 とは、無限という意味で、子どもたちの限りない未来を願ってつけられたものです。
防空壕は、ただ岩を掘っただけではありません。内部は、石の教卓を備えた教室をはじめ、炊事場、トイレなど、とても子どもが作ったとは思えない完成度。さらに、ゆるやかな孤を描く天井は、染み出た水を、上から滴り落ちることなく壁に伝わせるため。壁を伝って流れてきた水は、床に彫られた溝を通って排出される仕組みです。このように、細部まで機能的な工夫が凝らされています。
ある時、空襲で数百人がここに避難した際、酸欠状態に陥りました。そこで、ひとりの生徒が農家から「唐箕(とうみ)」と呼ばれる、風を使ってもみや藁くずを選別する農具を調達し入口から空気を送ったという逸話があります。ここは、戦争の爪跡というだけでなく、民間の戦争体験を今に伝える、貴重な遺構でもあるのです。
C
針尾無線塔
はりおむせんとう
針尾無線塔は、日露戦争後の1918年(大正7年)から4年の月日をかけて建設された、電波塔です。3基とも、高さは136メートルで、厚みは76センチメートル。建設当時の無線技術は、長波通信が主流でした。長波を遠方まで送るには、大きな無線アンテナを用い、高出力で発信する必要があり、このような巨大な施設となったのです。建築からおよそ100年経った今でも目立った損傷はなく、日本の技術の高さが窺えます。
3基の塔は、300メートル間隔の正三角形に配置され、中心地に電信室があります。この4つの建物が、ひとつの送信機となり、ここから中国、東南アジア、南太平洋方面に展開する艦隊と通信が行われました。これほど立派な軍事施設が、太平洋戦争の空襲で破壊されずに済んだのは、当時すでに、無線は長波から短波へ移っていたことに加え、日本軍の暗号はアメリカ軍に解読されており、無線電信所としての価値が失われていたためだと考えられています。
現在は電波塔の役目を終え、貴重な戦前の近代遺産として、国の重要文化財に指定されています。
D
佐世保港
させぼこう
佐世保港は、島々が複雑に浮かぶ海、小高い山々に囲まれた湾口などの地形が、天然の要塞として理想的であったことから、明治期に海軍基地となる「鎮守府」が設置され、軍港として発展してきた港です。
かつて軍艦が往来した佐世保港は、戦後設置された海上自衛隊や米海軍基地の艦艇、離島行きのフェリーほか、近年では大型の観光クルーズ船も寄港する国際的な港となりました。
多くの艦艇が往来する佐世保港、港のドッグや埠頭、林立する造船所の巨大なクレーン、その周辺にならぶ赤レンガ倉庫などは、佐世保らしい景観のひとつとなっています。
週末には、佐世保港を海から巡る人気のクルーズ「SASEBO軍港クルーズ」が運航されており、停泊する海上自衛隊や米海軍の艦船や、陸からは見ることができない米海軍貯油施設、弾薬庫など迫力満点の景観をガイド付きで楽しむことができます。
また、港周辺は公園などが整備され散策にも適しており、海に面したショッピングモール「させぼ五番街」には、佐世保バーガーの有名店や、九州銘菓を取扱う店舗も入っています。
E
福石観音 清岩寺
ふくいしかんのん せいがんじ
福石観音清岩寺は、行基が開基し、弘法大師が建立したと伝わる真言宗の古刹です。岩肌に張りつくように作られた本堂は、江戸時代後期に平戸藩主の松浦静山が再建したもの。ここに、行基が彫ったという、高さ約2メートルの十一面観世音菩薩が祀られており、春と秋のお彼岸と、8月の「四萬六千日祭」に一般公開されます。ちなみに、この「四萬六千日祭」は、祭りの期間中に1日参拝すれば、46,000日参拝した分の功徳があると信じられています。
大きな見所は、弘法大師が裏手の岩窟に安置したという五百羅漢。ただ、この場所は、戦時中に空襲で焼け出された人たちの仮住まいとなったため、石像のほとんどは失われました。羅漢窟と呼ばれるこの幅が広い海食洞は、佐世保の景勝地「平戸八景」のひとつです。
境内にはほかに、弘法大師が瞑想したといわれる坐禅岩や、不動明王もお祀りされています。また、「二十三夜」と記された石碑は、旧暦23日の月待行事に由来するもの。二十三夜の月は勢至菩薩の化身といわれ、智恵の光をもって人々を苦しみから救うと信じられており、安産祈願の対象でもありました。
F
旧佐世保鎮守府凱旋記念館(佐世保市民文化ホール)
きゅうさせぼちんじゅふがいせんきねんかん(させぼしみんぶんかほーる)
旧佐世保鎮守府凱旋記念館は、1923年(大正12年)に建築された西洋風の建物で、現在は佐世保市民文化ホールとなっています。
記念館の名前につけられた「凱旋」は、第一次世界大戦において、佐世保鎮守府の艦艇が連合国軍として活躍し、帰還したことに由来します。
鉄筋コンクリート、2階建てのこの洋館は、第二次世界大戦中、海軍の式典や合同葬に使われていました。
終戦を機にアメリカ軍に接収されると、映画やダンスの場として娯楽施設に変貌。当時はチケット売り場もあったといいます。
そこから37年の時を経て、佐世保市にようやく返還されたのは、1982年のこと。
その後、2014年から15年にかけて行われた耐震工事により、外観や内装が創建当時の姿に復元されました。
これにより、佐世保の大正建築がいかに重厚で美しいものであったかが見てとれます。
今日、館内は1階がホール、2階に佐世保の歴史を紹介する展示室があり、無料で見学できます。
G
弓張岳展望台
ゆみはりだけてんぼうだい
弓張岳は、九十九島八景にも選ばれた、佐世保を代表する景勝地です。標高は約364メートル。第一展望台には3ヶ所のビューポイントがあり、東から南にかけて広がる景色は、佐世保の街並みと佐世保港。港に停泊しているアメリカ海軍や、海上自衛隊の艦船もよく見えます。複雑な入り江は湾の入口が狭く、佐世保が海上防衛の最前線として選ばれた理由も窺えます。また、夜景の名所としても知られており、まばゆい光に彩られた夜の港は、格別の美しさです。
一方、南西を見下ろせば、佐世保造船所。晴れた日に西を向けば、遠く五島列島まで見渡せます。
第一展望台にそびえる近未来の飛行機のような建造物は、弓をイメージしたもの。柱には、弓を引く手や指の彫刻がみられます。周辺には、第二次世界大戦中に作られた高射砲の砲座が遺されているほか、第一展望台から第二展望台へ続く道には、佐世保にゆかりのある歌碑が並び、散策を楽しめます。
西に面した第二展望台は、夕日に浮かぶ九十九島のシルエットが印象的です。
H
九十九島水族館海きらら
くじゅうくしますいぞくかん うみきらら
208の島々が点在し、複雑に入り組んだ海岸線が豊かな生きものを育む、西海国立公園九十九島の海。「海きらら」は、そんな佐世保の海を再現した水族館です。
もっとも大きな展示は、九十九島湾大水槽。自然光が燦々と降り注ぐ、屋外型の九十九島湾大水槽。九十九島湾の入り組んだリアス海岸と多くの島々が作り出す、自然環境の変化に富んだ生態系と、九十九島の生きもの約120種13,000匹を展示しています。
また、九十九島の海に関する学術的な研究・調査にも力を入れており、稀少なカブトガニの繁殖に成功したほか、職員が発見した新種のクラゲも自慢の展示です。さらに、水族館のお楽しみといえば、イルカショーのプログラム。イルカ同士のジャンピングキャッチボールは、海きららでしか見ることのできない大技です。
なお館内には、写真やイラストつきの解説パネルも多数設置しています。
I
九十九島動植物園森きらら
くじゅうくしまどうしょくぶつえん もりきらら
九十九島を望む高台に位置する「森きらら」。前身の佐世保市亜熱帯動植物園を含めると、2021年で60年の歴史を誇ります。
園内では、アミメキリンの親子や愛らしいレッサーパンダ、ミーアキャットといったおなじみの動物に加え、稀少なツシマヤマネコや、日本在来馬の「対州馬(たいしゅうば)」も飼育されています。中でも人気は、フンボルトペンギン。深さ4メートルの水槽を下から見上げる天井水槽をはじめ、ペンギンの足裏を観察できる極浅水槽など、ユニークな展示が特長です。
一方、植物園でもある「森きらら」は、バラ園で知られています。佐世保固有のバラも育成しており、見頃は春と秋です。温室や日本庭園、藤棚もあり、一年を通して園内のいたるところで季節の花がみられます。
時間があれば、「森きらら」から徒歩でおよそ15分。石岳(いしだけ)頂上にある石岳展望台もおすすめです。眼下に見張らす九十九島の多島美は息をのむほど美しく、夕日の名所にもなっています。
J
展海峰
てんかいほう
佐世保市が定めた九十九島(くじゅうくしま)八景のひとつ、展海峰。展望台からは、青い海に点々と浮かぶ島々をはじめ、入江を進む遊覧船や佐世保港、遠く烏帽子岳(えぼしだけ)まで見渡せます。春は菜の花、秋はコスモスの名所としても知られる一方、夏は海の青と島の緑のコントラストが美しく、冬は渡り鳥を見ることができるかもしれません。
九十九島といっても、実際には大小合わせて208の島があり、島の密度は日本一といわれています。その内、人が住む島は4つのみ。ほとんどが無人島や岩礁ですが、その多くにひとつひとつ名前がついています。また、九十九島の海域は海岸線が複雑に入り組み、栄養豊富。このため、トラフグ、カキ、ハマチなど、魚介の養殖が盛んです。佐世保が誇る美しい恵みの海は、地場産業の要でもあるのです。
ちなみに、展海峰から北へ6キロほど離れたところにある石岳(いしだけ)展望台は、水墨画の美しさと評される夕日の名所。そこから海側へ下りると、低い位置から九十九島を間近に望める船越展望所(ふなこしてんぼうしょ)があります。
K
泉福寺洞窟
せんぷくじどうくつ
住宅地の林の奥にひっそりと残る洞窟。泉福寺洞窟は、旧石器時代から平安時代の遺跡です。ここで10年に及ぶ発掘調査の結果、12の地層が見つかりました。
大量に出土した品々は、槍の替え刃として使われた小型の石のナイフをはじめ、木や骨を削るへら状の石器、煮炊きの証である土器など、生活道具ばかり。これらは年代の異なる地層から見つかっており、この洞窟に、何世代にもわたり居住していたことが窺えます。
もっとも注目される出土品は、およそ16,000年前、すなわち旧石器時代から縄文時代への移行期に作られた土器です。
豆粒のような粘土のかたまりが、外側に貼り付けられていることから、「豆粒文土器(とうりゅうもんどき)」と名づけられたこの遺物は、国の重要文化財。ここから南に5キロほど離れた「佐世保市博物館島瀬(しまのせ)美術センター」で、復元品が展示されています。
また、同施設では、泉福寺洞窟の模型や、その他の出土品、発掘調査の成果も閲覧できます。
L
福井洞窟ミュージアム
ふくいどうくつみゅーじあむ
福井洞窟ミュージアムは、2021年4月に開館した無料の博物館です。福井洞窟は岩陰(いわかげ)状の洞穴で、旧石器時代から縄文時代にかけた生活の移り変わりを伝える貴重な遺跡として注目されています。
館内では、この福井洞窟で出土した石器や土器など、およそ400点を展示。映像を駆使した洞窟のジオラマや、実際の地層の断面で、当時の人々の暮らしをわかりやすく紹介しています。
また、国の重要文化財である、「細石刃核(さいせきじんかく)」も見所のひとつ。細石刃とは小さな石の刃で、細石刃核から作り出されます。その刃を動物の骨や角を利用した「軸」に幾つも埋め込み、一本の槍や銛に仕立てたものは、植刃器(しょくじんき)と呼ばれます。また、複製品が展示されている、隆起線文(りゅうきせんもん)土器や爪形文(つめがたもん)土器は、細石刃とともに出土したもの。これは、旧石器時代の石器と、縄文時代の土器が同時期に使われていたことを示す、非常に意味のある発見です。
なお、博物館では、有料で自転車を貸し出しており、展示に興味を持ったその足で、実際に福井洞窟を見に行くこともできます。博物館から洞窟までは、北へ4キロほどです。
M
黒島
くろしま
黒島は、人口が400人に満たない小さな島です。島内には公共の交通機関がなく、信号機もありません。
元々、島の北側にある黒島港付近の本村(ほんむら)地区には、仏教徒の集落がありました。そこへ、江戸時代後期にキリスト教徒が南側の崖から上陸し、隠れるように家を建て始めたのです。彼らは「潜伏キリシタン」と呼ばれ、仏教徒を装いながら信仰を続けました。今日(こんにち)にいたるまでその子孫が住み、島民の8割はカトリックの信者です。
島には曹洞宗の興禅寺(こうぜんじ)や黒嶋神社があり、小さな島で日本と異国の宗教が長く共存してきた歴史をもちます。
島では、黒島天主堂をはじめとする、潜伏キリシタンの史跡が大きな見所。また、蕨(わらべ)展望所は、長崎鼻の断崖と大海原が見渡せる、島一番の景勝地です。
あんこを包んで蒸した「ふくれまんじゅう」や、にがりの代わりに海水を使って固める黒島豆腐は、ぜひ試したい島の味。
港に近い観光案内所「黒島ウェルカムハウス」では、郷土料理の手作り体験の案内や、ガイドツアー、電動アシスト自転車・電動バイクの有料貸し出しを行っています。黒島観光の拠点としてぜひご利用ください。
N
江迎本陣 山下家もと蔵(潜龍酒造株式会社)
えむかえほんじん やましたけもとくら(せんりゅうしゅぞうかぶしきがいしゃ)
江迎本陣屋敷は、江戸時代に平戸藩主が参勤交代や長崎港警備の際に利用した、旅の宿です。当時、一行は平戸城から海峡を船で渡り、対岸の田平町日の浦(たびらちょうひのうら)に上陸。そこから陸路で平戸街道を進みました。 平戸往還(ひらどおうかん)とも呼ばれるこの道のりは、およそ14里(57.5キロメートル)。江迎本陣は、その道中に設けられた6ヶ所の本陣のひとつで、今日まで現存する唯一の屋敷です。ここでは、御殿さまが使われた御成門(おなりもん)や御成の間が、1830年に改修された当時のまま残されています。本陣屋敷の表庭と築山は、京都から庭師を呼んで造っています。その表庭の茶室に入る角の蹲(つくばい)にある「水琴窟(すいきんくつ)」は、自然石の手水鉢の側下にあり、手洗いの水を流すと妙なる琴に似た音色を奏でます。
本陣を営んでいた山下家は、1688年創業という、歴史ある造り酒屋。酒の酵母を作るために建てられた「もと蔵」は、釘を使わず、柱1本で2階まで支える傘型の屋根組みが見事です。
山下家は現在も酒造会社を営んでおり、現在ももと蔵にて、ここ江迎で生産された酒米(さかまい)を使い、熟練の職人が手間隙かけて味わい深い日本酒を造り続けています。
なお、本陣屋敷ともと蔵は、見学にあたり事前予約が必要です。
O
佐世保のグルメとお土産
させぼのぐるめとおみやげ
九十九島の豊かな海に恵まれた佐世保は、魚介の宝庫。西日本屈指の規模を誇る佐世保魚市場には、毎日多くの新鮮な魚が水揚げされます。まるまる太ったトラフグや、日本有数の漁獲高を誇るマダイをはじめ、夏の岩ガキ、冬の真ガキと、牡蠣の養殖も盛んです。また、県内有数の畜産地帯でもあり、長崎和牛は市が誇る特産品のひとつです。
さらに、佐世保といえば軍港のまち。旧日本海軍と海上自衛隊にちなんだ料理を、街のいたるところで提供しています。中でもカレーやビーフシチューは、明治時代に日本海軍がまとめた「海軍割烹術参考書(かいぐんかっぽうじゅつさんこうしょ)」に起源をもつ奥深い料理。「レモンステーキ」や「入港ぜんざい」も、佐世保ならではの料理です。全国的に有名な佐世保バーガーは、実は決まったレシピはありません。このため、店ごとに具もソースも様々。JR佐世保駅構内の「佐世保観光情報センター」では、佐世保バーガーマップを配布しています。
お土産の定番は、「九十九島せんぺい」や、柚子餡をクッキーで挟んだ「ぽると」。佐世保市北部で生産されている世知原茶(せちばるちゃ)は、蒸し製玉緑茶(むしせいたまりょくちゃ)と呼ばれる大変珍しいお茶です。