東京から日帰り旅行もできる
「日光・鬼怒川」エリアの観光音声ガイド20選
日光・鬼怒川エリア紹介
日光は栃木県を代表する観光地です。関東でも、箱根や熱海などと並んで、東京の奥座敷として高い人気を誇ります。
江戸幕府の初代将軍である徳川家康を祀った「日光東照宮」があり、それをとりまく雄大かつ荘厳な自然や、歴史ある神社仏閣が見どころとなっています。流行を追うような観光施設は少なく、全体的に落ち着いた印象の観光スポットが多いのが特徴です。中でも、二荒山神社(ふたらさんじんじゃ)や日光山輪王寺(にっこうさんりんのうじ)など、「世界遺産」に登録されているところもあり、一度ならず何度でも行ってみたい観光地として人気です。また、華厳の滝、中禅寺湖、いろは坂などの見どころも豊富で、春夏秋冬それぞれの魅力にあふれた観光地です。
A 日光東照宮
B 大猷院廟
C 日光二荒山神社
D 金谷ホテル歴史館
E 華厳の滝
F いろは坂
G 中禅寺湖
H 竜頭ノ滝
I 戦場ヶ原
J 江戸ワンダーランド日光江戸村
K 鬼怒楯岩大吊り橋
L 鬼怒川温泉ロープウェイ
M 鬼怒川ライン下り
N 東武ワールドスクウェア
O 鬼怒川温泉
P 龍王峡
Q 大滝河川遊歩道
R 川治温泉
S 湯西川温泉
T 足尾銅山
A
日光東照宮
にっこうとうしょうぐう
日光東照宮は、栃木県日光市にある神社で徳川家康が祀られており、「日光の社寺」として世界遺産に登録されています。
境内には絢爛豪華な彫刻などに彩られた55棟の建造物があり、見るものを圧倒する美しさがあります。
このうち本殿や陽明門など8棟が国宝に、五重塔や祈祷殿など38棟が重要文化財に指定されています。
東照宮が現在の社殿になったのは今から380年以上前の寛永年間で、三代将軍 家光の命によるものでした。
このとき全国から優秀な職人も集められ、建造物に数多くの装飾が施されました。
有名な彫刻に「三猿」があります。
これは孔子の論語に出てくる「礼に反することは、見るなかれ、聴くなかれ、言うなかれ、行うなかれ」という「四猿」がルーツとなっています。
実際、中国では「四猿」で表現されていますが、日光東照宮では四という数字を避けて、三猿で表現しています。
また、東照宮は風水や陰陽といった古代から伝わる「方角とエネルギー」の関係を取り入れて建てられたため、関東有数の開運のパワースポットとしても有名です。
B
大猷院廟
たいゆういんびょう
大猷院廟(たいゆういんびょう)は、日光山 輪王寺にあり、3代将軍 徳川家光が祀られています。大猷院とは徳川家光の法号で、世界遺産にも登録されています。
家光は祖父 家康を深く尊敬していたため「死後も家康に仕える」と云う遺言を残し、この遺言を受けた 4代将軍 家綱がこの霊廟建立を命じました。建物は東照宮に向いて建っていますが、家康を永久に見守るという敬愛の情が込められているとみられています。
廟というのは仏教で死者を祀る墓所を指します。
東照宮が神仏習合形式の「権現造り」となっているのとは対照的に、大猷院廟は純仏教形式の「仏殿造り」で造営されています。
また祖父を超えてはならないという戒めに徹し、家康を祀った日光東照宮に比べて規模は小さく、華やかさを抑えていますが、本殿、相の間、拝殿が国宝となっており、細部技巧が凝らされているのが特徴です。
C
日光二荒山神社
にっこうふたらさんじんじゃ
日光二荒山神社は、1200年以上前に勝道上人がこの地を修行場所として定め日光山信仰の始まりとして創建され、古くから崇拝されてきました。
大己貴命を主祭神として祀り、招福や縁結びの神様として信仰されています。また中宮祠境内は男体山の登山口の一つでもありシーズンになると安全祈願を済ませて入山するハイカーが目立ちます。
この二荒山神社は、東照宮や輪王寺の103棟と並び、「日光の社寺」として世界遺産に登録されたひとつでもあります。中でも注目されるのは日光の入り口に架かる朱塗りの美しい「神橋(しんきょう)」です。
この橋は全長28メートルの木造で「はね橋」と呼ばれるアーチ型が特徴です。この形式で山間の渓谷に架かるものは日本では唯一ここだけで、山口県錦帯橋、山梨県猿橋と並び、日本三大奇橋の1つにも数えられています。
かつては、神事など特別な行事のみ使用され一般の渡橋は禁じられていましたが、現在は誰でも渡れるようになりました。
D
金谷ホテル歴史館
かなやほてるれきしかん
日本初の西洋式リゾートホテル「金谷ホテル」のルーツ「金谷侍屋敷」は、約400年前に日光奉行所の役人の住まいとして建築された武家屋敷です。
代々東照宮雅楽(ががく)の楽士を務めていた金谷家が江戸後期に拝領し、1873年(明治6年)若干21歳の金谷善一郎(かなやぜんいちろう)が外国人向けの宿「金谷カテッジイン」を屋敷で開業しました。
「サムライ・ハウス」と親しみを込めて呼ばれた宿には多くの外国人客が宿泊しました。その中のひとりがイギリス人旅行家イザベラ・バードです。
バードは著書「日本奥地紀行」の中で宿の清潔さや心地よさについて細かく書き「日光」や「金谷」が欧米で知られるきっかけを作りました。1893年(明治26年)、善一郎は本格的な西洋式ホテル「金谷ホテル」を設立。宿泊施設としての役割を終えた金谷侍屋敷は長年大切に保存され、2014年に国登録有形文化財の指定を受け、2015年から「金谷ホテル歴史館」として一般公開されています。
E
華厳の滝
けごんのたき
華厳の滝が誕生したのは2万年前と言われ、日本三大名瀑のひとつに数えられています。
日光は「四十八滝」といわれるほど滝が多く、その中で最も有名なのが華厳の滝です。中禅寺湖から高さ97メートルの岸壁を一気に落下する壮大な光景は、自然の雄大さと華麗な美しさを兼ね備えています。かつてこの滝は「江尻滝」と呼ばれていました。
100年以上前は離れたところからしかみることができませんでしたが、1900年頃 滝壺近くに茶屋が開かれ、滝を間近に見られるようになりました。
その後1930年に、堅い岩盤を彫って開通したエレベーターに乗って「観瀑台」近くまで行くことが可能になり、迫力満点の滝つぼを間近で見物できるようになりました。1931年には国の名勝に指定され、1990年には「日本の滝百選」にも選定されました。
F
いろは坂
いろはざか
日光いろは坂は、日光市街の馬返しから中禅寺湖に通じる国道120号の愛称です。
馬返しの地名の由来は、この先は険しい山道のため馬をここで返したためといわれています。
いろは坂が自動車道路として整備されたのは1954年のことですが、このとき道中に48か所の急カーブがあったことから「いろは四十八文字」に因んで命名されました。
しかし経済成長に伴い、マイカーや観光バスが急増し深刻な渋滞を引き起こしたため、1965年 馬返しから分岐した「第二いろは坂」を新たにつくり、上り専用として運用することになりました。
併せて従来の「第一いろは坂」も整備した結果、それぞれのカーブの合計が48となっています。
渋滞緩和のため対向車線を無くし、カーブごとに「い、ろ、は」の文字標識がたてられているので、いろは坂ならではの文字標識を見ながらのドライブが楽しめます。
それでも連休や紅葉時期などのハイシーズンには一部の時間帯で渋滞することがあるため、坂の途中には休憩スポットが設けられています。
特に第二いろは坂の明知平展望台からは華厳の滝や中禅寺湖を目の当たりにでき人気を集めています。
G
中禅寺湖
ちゅうぜんじこ
中禅寺湖は、日光国立公園にある栃木県最大の湖で、その広さは東京ドーム約250個分にも及びます。日本一高いところにある広大な湖としても知られており、湖の水面の「標高」は1,269メートルです。2万年前の男体山の火山活動で噴出した溶岩や火山灰が周辺の渓谷を堰き止めて誕生した湖とされており、同じようなタイプの湖に阿寒湖や富士五湖などが挙げられます。
あまり知られていませんが、中禅寺湖には「上野島(こうずけじま)」という小さな島があります。この島には伝説があり、男体山の神と赤城山の神が中禅寺湖を領地にするために戦って奪い合った結果、男体山の神が勝利し、その記念に残されたのが「上野島」だと言われています。また、日光山を開いた勝道上人と、徳川家康に側近と仕えた僧の慈眼大師のものとされるお墓もあります。また岸からわずか100メートルと近いため湖の水位が低い時は歩いて島に渡ることができます。
H
竜頭ノ滝
りゅうずのたき
日光国立公園は栃木県の山間にあるため滝が多いことでも知られています。水が豪快に落下する華厳の滝とは対照的な竜頭ノ滝は、渓流を華麗に流れ落ちる景観が人気を集めています。
長さ210メートルある滝の落差はおよそ70メートルで、急斜面を水が勢いよく下り、流れを阻むかのようにある滝つぼの手前の大きな岩にぶつかると、水が二手に分かれて岩を挟むように流れ落ちてきます。
この光景は正面から見ると竜の頭に似ていることから「竜頭ノ滝」と名付けられたともいわれています。
竜頭の滝を彩るのは季節ごとの植物です。
5月・6月の赤紫のトウゴク・ミツバツツジは華やかさを添え、9月の紅葉は青空と水面に鮮やかなコントラストを描きます。
滝の正面にある観瀑台は絶好の撮影スポットです。
I
戦場ヶ原
せんじょうがはら
戦場ヶ原(せんじょうがはら)は、日光国立公園にある湿原で、中禅寺湖をめぐって男体山の神と赤城山の神が争った戦場だったという神話からこの名前になったと言われています。
標高は1,394メートルで、中禅寺湖より120メートル高い場所にあります。東京ドーム85個分にもなる広大な面積の湿原で、自然研究路(しぜんけんきゅうろ)と呼ばれる整備された歩道は、2時間ほどで歩けるハイキングコースになっています。
実は戦場ヶ原は、かつて湖であった地が湿原化したもので、350種類にも及ぶ植物が自生しているのが特徴です。特に、ワタスゲやホザキシモツケが見頃になる6月中旬~8月上旬、草紅葉が見頃となる9月下旬~10月上旬がおすすめの時期です。また、数多くの野鳥を観察することもできます。
2005年には「奥日光の湿原」として「ラムサール条約」の湿地に登録されました。
J
江戸ワンダーランド日光江戸村
えどわんだーらんどにっこうえどむら
EDO WONDERLAND(エドワンダーランド)日光江戸村は、江戸時代にタイムスリップしたような体験ができるテーマパークです。
東京ドーム10個分もの広大な敷地には、時代劇でお馴染みの街道や宿場町(しゅくばまち)、それに商人町(まち)から武家屋敷、忍者の里にいたるまで、実物さながらの町並みが再現されています。ここで楽しむコツは変身と体験です。衣装を借りて、侍やお姫様、町民などお好みの江戸人になりきり、武道や当時の職人の手作りの技を体験したり、芝居小屋では忍者パフォーマンス・人情喜劇・伝統芸など江戸情緒あふれる見世物を楽しむことができます。また「忍者怪怪亭(にんじゃかいかいてい)」も人気アトラクションの一つです。建物全体が斜めになっているので、中に入ると天井や壁、床の区別がつかなくなり、進めば進むほど平衡感覚が麻痺してきます。忍者修行のための場所とされているので、果たして自分が忍者に向いているのか何回も繰り返し楽しむ人が多いそうです。さあ、あなたも時代劇の世界にさっそく行ってみるでござ~る~。
K
鬼怒楯岩大吊り橋
きぬたていわおおつりばし
鬼怒川で最もスリルがある観光スポットと言われている「鬼怒楯岩大吊り橋」。
鬼怒川温泉街の南側から鬼怒川を挟み対岸を結ぶ橋は、2009年に開通した歩道専用の吊り橋です。全長は140メートルあり、絶景ポイントでは、青く澄んだ鬼怒川の急流や緑豊かな美しい山並みを見る事ができます。橋を渡り遊歩道を右に進んでトンネルをくぐると、楯岩と展望台が見え、鬼怒川温泉街を見下ろすことができます。鬼怒川を女性、どっしり構えた巨大な楯岩を男性に例え、大吊り橋は「縁結びの橋」とも呼ばれています。
L
鬼怒川温泉ロープウェイ
きぬがわおんせんろーぷうぇい
鬼怒川温泉ロープウェイは1959年(昭和34)に開業して以来、温泉街の賑わいとともに「おさるの山ロープウェイ」として半世紀以上、訪れる観光客に親しまれています。
四季折々の景色を満喫しながら標高700メートルに位置する丸山山頂駅までは、4分間の空中散歩を楽しむことができます。
山頂駅広場の「おさるの山」では、約30匹の猿を飼育しており、おやつをねだるために、フェンス越しに手招きをしたり、とにかく目立とうと個性的なアピールをしてきます。
おやつをあげる体験で、可愛らしい猿と触れ合うことができます。
展望台は3階建てに相当する高さでヒノキ造り。眼下には温泉街、北に那須連山、東に筑波山、そして南には関東平野を見渡せて、天気が良いと東京スカイツリーまで見ることができます。
また、山頂駅広場から往復1時間のハイキングコースの先にある、古木「一本杉」までの散策もオススメです。
M
鬼怒川ライン下り
きぬがわらいんくだり
鬼怒川の渓谷で水しぶきを浴びながら川下りを楽しめる「鬼怒川ライン下り」。
舟の前方と後方それぞれに船頭さんが立って櫂(かい)を操ります。
舟に乗り込んでライフジャケットを装着し、靴はビニールに入れて準備が整ったら出発!緊張をほぐしてくれる船頭さんの楽しい話に耳を傾けながら、静かな水面を進み、やがて岩に水しぶきがあがる急流に向かいます。
両岸には長年の浸食作用でできた奇岩が続々と現れ、岩の形がゴリラや象といった動物に似たものもあるので、探してみましょう。
岩をよけながら櫂を巧みに動かし舟は進みますが、急流を超えると川は静かに流れ、落ち着いて山並みの景色をゆったりと楽しむことができます。
両岸は木々が彩を添えてくれ、新緑と青空が水面に映える夏、さらに秋は紅葉で一層輝きを増します。ライン下りの所要時間は約40分、スリルと自然の醍醐味に満ちた時間を過ごしてみませんか。
N
東武ワールドスクウェア
とうぶわーるどすくうぇあ
東武ワールドスクウェアは、世界各国の有名な建築物を25分の1の縮尺で精巧に再現したミニュチュアの世界建築博物館です。
世界遺産に登録された優れた建築文化を守り、後世に伝えることが目的で、5年の歳月と140億円の費用をかけ、1993年に開園しました。
東武(とうぶ)の名前にちなんで102点の情景を設定し、現在の東京を中心とした「現代日本」や「アメリカ」、「エジプト」「ヨーロッパ」「アジア」、そして歴史的建造物を紹介する「日本」の6つのゾーンに分かれ、東西が誇る建築文化の特徴を目の当たりにできます。
外観や形状はもちろんのこと、質感も実物に近づけるように作っており、建物や周辺の人形と合わせ臨場感にあふれ、世界一周旅行の気分を満喫できます。
また、クリスマスや年末年始の時期に開催されるイルミネーションでは、エッフェル塔やベルサイユ宮殿、サクラダファミリアなど世界を代表する建物が華やかに演出され、圧巻の美しさです。
O
鬼怒川温泉
きぬがわおんせん
鬼怒川を挟んだ両岸を中心にホテルや旅館が立ち並ぶ華やかな温泉街が鬼怒川温泉です。江戸時代初期に発見され、当時は日光詣りの僧侶や大名のみが入れた温泉でした。
そして明治時代にようやく一般にも開放されて発展を遂げ、一大観光地へと変貌しました。「傷は川治、火傷は滝(現在の鬼怒川温泉)と言われ、湯治場としても利用されました。肌にやさしい弱アルカリ性の泉質が利用客に喜ばれています。
宿泊施設はおよそ30軒、日本情緒あふれる風情の旅館が並び、季節ごとのイベントで宿泊客をもてなしています。
桜の開花時期には桜祭りの一環として、夜桜大宴会を催し、お花見弁当を食べながら雅楽(ががく)の演奏や温泉芸妓衆の舞を見ることができます。また隠れた名所を散策する街歩きガイドツアーは通年行われ、親子で楽しめる川魚のつかみ取りや、月あかり花回廊など、温泉以外にも楽しませてくれる企画が充実しています。
P
龍王峡
りゅうおうきょう
太古の地殻変動で噴出した火山岩が鬼怒川に浸食されて生まれた峡谷が龍王峡です。
鬼怒川温泉と川治温泉の間に約3キロメートルに渡り、両岸の火山岩に龍がのたうつ姿のような形で浸食されていることから1950年に龍王峡と名付けられました。
龍王峡は火山活動を物語る岩の形や色の違いで「白龍峡」「青龍峡」「紫龍峡」の三つに分かれています。
下流の龍王峡駅から遊歩道を降りて進むと白龍峡が見え、全体が白っぽい流紋岩から成る岩が続きます。また虹見の滝や竪琴の滝が景観に彩を添えています。
ムササビ橋を超えると岩の色が青っぽく変わり、青龍峡(せいりゅうきょう)に入ります。
マグマが地表付近で冷やされて出来た長方形が規則正しく並ぶ柱状節理(ちゅうじょうせつり)や大きさも形も異なる岩と流れが美しいコントラストを描く大観、それにウサギが渡れるぐらい川幅が狭いということから名付けられた「兎はね」など、奇岩が織りなす光景が続きます。
そして最上流は紫龍峡で、紫がかった安山岩が連なり、龍の頭に相当する部分です。
さらに上流も、奇岩の造形美を見ながら歩く自然探求路として整備されていて3キロメートル先の川治温泉がゴールとなります。
Q
大滝河川遊歩道
おおたきかせんゆうほどう
鬼怒川の流れを間近から眺められるのが、大滝河川遊歩道です。
長さ1キロメートル、ゆっくり歩いても30分程度と、軽い散策には程よい距離です。
遊歩道を川に向かって降り始めると、間もなく勢いよく流れる水の音が聞こえてきます。迫力ある流れを見ながら、木道で整備された遊歩道を進むと大滝という急流が現れます。
安全に滝を見ることができる観瀑台を設置している大滝公園からは、豪快な水しぶきを上げる激流が目前に迫り、誰もが圧倒されます。
そして背後には二つの山が左右に並び美しい景観を作っています。
これらの山は、左に見えるのが「鶏頂山(けいちょうざん)」右側が「西平岳(にしひらだけ)」です。鶏頂山は標高が1,765メートル、西平岳は1,712メートルとほぼ同じ高さで渓流のはるか先に見えるため撮影スポットとしても最適です。
R
川治温泉
かわじおんせん
栃木県から会津方面に抜ける道路沿いを流れ、関東でも指折りの清流を誇る男鹿川(おじかがわ)と、鬼怒川が交わる渓谷にひっそりとたたずむのが川治温泉です。
江戸時代に開湯され、街道を行き交う旅人や地元住民らに親しまれてきました。
泉質はアルカリ性単純泉で、神経痛やリウマチなどはもちろんのこと、特にケガに効能があるといわれています。
新撰組副長の土方歳三が、戦で負った傷を治し再び会津に出陣していったという逸話も残っています。
また、川治温泉のゆるキャラ「かわじい」というお爺さんの像が温泉街の入口に観光客を迎えてくれ、「川治ふれあい公園」には無料で入浴できる足湯「かわじいの湯」もあります。
一方、男鹿川沿いの野趣あふれる共同浴場「薬師の湯(やくしのゆ)」では、立ち寄り湯を楽しむことができ、内風呂と露天風呂を備えています。
特に露天風呂の先はもう清流というロケーションは開放感いっぱいで、旅の疲れを癒してくれるでしょう。
S
湯西川温泉
ゆにしがわおんせん
平安末期の12世紀、源平の合戦に敗れた平家の軍勢が散り散りになり、日本各地の山深い僻地に逃げ延びひっそり暮らした場所。それが「落人集落(おちうどしゅうらく)」で、ここ湯西川温泉(ゆにしがわおんせん)もその一つです。安住の地と定めたものの常に源氏の影に怯えた落人(おちうど)は、「鯉のぼりを揚げない、にわとりを飼わない、たき火をしない」などの決まりを守り、サバイバルに徹してきました。その生活様式を今に伝えているのが平家の里で、伝統芸能や民話の伝承、素朴な生活道具や往時(おうじ)を偲ぶ平清盛の像などが展示されています。平家集落と呼ばれる一角では、古民家を改装した旅館が軒を連ねていますが華やかさはありません。また甲冑(かっちゅう)や武器などを埋めたとされる平家塚(づか)も静かに佇み、昼夜を通して静寂に包まれた隠れ里の風情が味わえます。
一方で、毎年冬季に行われる県内最大規模のスノーフェスティバル「かまくら祭」も有名です。高さ40センチほどのミニかまくらが1,000個以上も並び、中の蝋燭に火が灯されると周囲は幻想的な雰囲気に包まれます。観光客もすっかり魅せられる神秘的なライトアップの美しさが評価され、日本夜景遺産にも指定されています。
T
足尾銅山
あしおどうざん
足尾銅山は、日光市足尾地区にあった銅山で、「足尾銅山跡」として国の史跡に指定されています。
1610年(慶長15年) 二人の農民によって銅が発見されて以来採掘が本格化し、足尾銅山は採掘のピークを迎えました。
「日本一の鉱山都市」として幕府の財政を支え、足尾の町も「足尾千軒」と呼ばれるほど活気に満ちていました。
しかし深刻な公害問題を抱え、1973年に閉山となり、採掘の歴史に幕を閉じました。
それまでに掘られた坑道はおよそ1,200キロメートルで、その長さは東京から博多までの距離に匹敵します。その一部が観光資源として生かされ、現在ではトロッコ電車に乗っておよそ700メートルの坑道を見学することができます。
当時の厳しい採掘労働が等身大の人形で再現されており、歴史だけでなく掘削作業の変遷も理解できます。
また坑道の外には廃線となった鉄道の線路、赤さびた精錬所などの施設跡など映画のシーンのような荒涼とした景色が広がっており、一時代を築いた産業の栄枯盛衰を見る思いです。