キリスト教と日本文化が共存する
歴史とロマンが香る街 平戸の観光音声ガイド

平戸エリア紹介
TOURIST Guide編集部
吉川雅子

平戸エリア紹介

ひらどえりあ
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長崎県平戸市は、海が複雑に入り組んだ長崎県北部にあって九州本土の西北端に位置しています。
古来より中国大陸のほうが近いという地勢から、日本でいち早く海外と交流を持ちました。大航海時代と呼ばれる、貿易の活路を海外に求めてやってきた、オランダ、スペインなど諸外国は、日本での貿易拠点を求めていました。その窓口となったのが平戸です。

整備された港には船舶が入港して活気に満ち、町には商館も建設され繁栄を極めました。しかし往来する西洋人の増加によって浸透が深まるキリスト教は、武士を頂点とする封建社会には脅威に映ります。

このため幕府は、これまでの黙認から一転し、宗教弾圧や鎖国に舵を切り、交易の窓口を同じ長崎県の出島に限定したのです。
このため平戸に根付いた西洋文化は、100年で姿を消しました。にもかかわらず、潜伏キリシタンと呼ばれた信者の熱意は衰えず、キリスト教解禁とともに建てられた教会は町並みに異国の雰囲気を伝えています。
400年前に、国際都市の輝きを放った平戸、その歴史と日本文化が共存する街での新しい発見をしてみませんか。


平戸ザビエル記念教会

A 平戸ザビエル記念教会

寺院と教会が見える風景

B 寺院と教会が見える風景

平戸城

C 平戸城

大バエ灯台

D 大バエ灯台

生月サンセットウェイ

E 生月サンセットウェイ

カトリック山田教会

F カトリック山田教会

カトリック紐差教会

G カトリック紐差教会

カトリック宝亀教会

H カトリック宝亀教会

平戸オランダ商館

I 平戸オランダ商館

平戸大橋

J 平戸大橋

松浦史料博物館

K 松浦史料博物館

中江ノ島

L 中江ノ島

スポット紹介

平戸ザビエル記念教会

ひらどざびえるきねんきょうかい

平戸ザビエル記念教会
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平戸ザビエル記念教会は、平戸市西部の丘陵に建つ教会で1931年に完成しました。
ゴシック様式独特の天に向かって真っすぐに建つモスグリーンの尖塔とその上部の十字架が荘厳な雰囲気を漂わせています。
1971年にフランシスコザビエルの三度の平戸訪問を記念して八角形の教会堂が脇に建てられ左右非対称ですが、シャープな景観は青空に美しく映えます。
近隣には由緒ある寺院が並び、教会と寺院のユニークな組み合わせが、写真の撮影スポットして人気を集めています。
フランシスコザビエルは1549年に初めて日本を訪れ、キリスト教とヨーロッパ文化を伝え、その後、京都や中国地方など諸国大名らと交友しながら、珍しい外国製品を献上して歓迎されました。
これが功を奏しキリスト教はじわじわと浸透していったと言われています。

寺院と教会が見える風景

じいんときょうかいがみえるふうけい

寺院と教会が見える風景
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東洋と西洋の文化が交わる「寺院と教会が見える風景」は、平戸を代表する観光スポットです。

平戸ザビエル教会の尖塔、その手前には「光明寺(こうみょうじ)」と「瑞雲寺(ずいうんじ)」などの古刹(こさつ)があります。
平戸港の海岸通りから伸びる石畳の坂道を登るか、平戸ザビエル教会から並ぶ坂を下れば見えてくる光景、ゴシック建築と寺院建築、和洋の調和で形作る不思議な空間です。
平戸ならではの歴史に縁どられた異国情緒ある風景が楽しめます。

平戸城

ひらどじょう

平戸城
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平戸城(ひらどじょう)は、平戸市内東部の三方を海に突き出した小高い丘にあります。
そびえる天守閣は平戸を代表する景観の一つで、天守閣からは九州本土や平戸大橋、それに海上を行きかう船舶などの景色を楽しめます。
平戸城はおよそ420年前、平戸藩主 松浦鎮信(まつうらしげのぶ)によって建築が始まりました。そして完成間近の1613年(慶長13年)に、なんと自ら火を放ち城は焼け落ちました。
松浦家の、豊臣方と近い関係を疑った徳川に対し、その疑いを晴らすため、あるいは跡継ぎの急死によるショックだったと伝えられています。
その後東シナ海警備のため1707年に改めて築城し、1962年に復元されました。天守閣は資料館になっており、松浦家ゆかりの品々を保存・展示しています。
城には解体せずに残された狸櫓(たぬきやぐら)と呼ばれる櫓があります。
江戸時代末期に、櫓の修理のため床板をはぎ取ったところ、小姓(こしょう)に化けた狸が藩主の夢に現れました。
そして、床板を戻し、そこに住まわせてくれれば永久に城を守りますと懇願され、床板を元に戻したそうです。

大バエ灯台

おおばえとうだい

大バエ灯台
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大バエ灯台(おおばえとうだい)がある生月島(いきつきしま)は、平戸島の北西にある島で南北10キロメートル、東西2キロメートルと縦長で人口およそ7,000人ののどかな島です。1991年に平戸島と橋で結ばれ車での往来が可能になりました。
日本に戻る途中の遣隋使(けんずいし)や遣唐使(けんとうし)が、この島を見つけて安堵し「一息つく」のが名前の由来と言われています。その時代にあったらとても有難かったであろう灯台が、島の北西端にある大バエ灯台です。
無人灯台で1955年に運用が開始されました。大バエ鼻(おおばえはな)と呼ばれる、高さおよそ100メートルの断崖の上に立つ白亜の灯台は、ほかと違って螺旋でなく普通の階段が設置してあり、容易に上部に登れます。
また360度視界が開け、すべての方角に広がる水平線の沖合には天気次第で壱岐(いきの)や対馬(つしま)も望めます。さらに夕刻まで滞在すればご褒美の絶景があります。
水平線に夕日が沈むとき、光を受けてオレンジ色に染まった灯台は、神々しいばかりの輝きに包まれます。
GPSに役割が移ったと言われる灯台ですが、このように観光スポットにしても存続してほしいものです。

生月サンセットウェイ

いきつきさんせとうぇい

生月サンセットウェイ
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生月(いきつき)サンセットウェイは、生月大橋から南に抜けて島の西側を北上する道路で、正式には生月農免農道(いきつきのうめんのうどう)という名称です。
美しい海岸線を走るドライブコースとして人気を集めていましたが、自動車メーカーがCM撮影を行ったことでさらに注目を集めました。
全長は10.4キロメートルで大きな起伏がないうえに見通しもよく海岸線や断崖など景色が視界に入るルートは走りと撮影の両方を楽しみたいというドライバーにはうってつけです。
島の南端にあるのは、初めて明かりが灯ったのが1992年という長瀬灯台(ながせとうだい)、円筒形の白い無人灯台です。
灯台の前後には切り立った断崖があり、砕けた岩が、玄界灘(げんかいなだ)の荒波の力を感じさせます。
そこから先がほぼ直線のサンセットウェイ、左手の海岸線に沿って北上すると、垂直に切り立った岩が並ぶのが塩俵(しおだわら)の断崖です。
南北に500メートル、海岸からの高さは20メートルもある柱状節理で、海が入り組んだ長崎でも類を見ないスケールです。
そして沈む夕日の絶景スポット、大バエ灯台は遊歩道で3.3キロ、休憩を兼ねてオレンジ色に染まるドライブコースです。

カトリック山田教会

かとりっくやまだきょうかい

カトリック山田教会
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カトリック山田教会は、1873年の禁教令廃止を受けて、生月島(いきつきしま)のかくれキリシタン信者らに呼びかけて建設が始まり、1912年(大正元年)に完成しました。
潜伏キリシタンは、仏教徒に見せかけて密かに信仰を続けていた信徒の総称ですが、禁教令が廃止されても名乗り出ず、教会にも復帰しなかった信者がかくれキリシタンです。
厳しい宗教弾圧のもとで頑なに信仰を守りながらも、仏教とも折り合いをつけた独自の信仰スタイルを確立しました。
そして禁教令廃止後もカトリック教会と距離を置き、今も継承されています。
しかし海外宣教師らの尽力で教会に復帰する信徒が徐々に増え、着工にこぎつけました。
設計は当時の教会建築設計の第一人者 鉄川与助(てつかわよすけ)です。
天に向かって尖った、直線的なゴシック様式に対して、半円形など曲線の要素を取り入れたロマネスク様式が特徴です。
また内部は翼を広げた姿に見える蝙蝠天井(こうもりてんじょう)と、それを支える柱が荘厳な教会堂の空間をつくり、珍しい蝶のステンドグラスが華やかさを添えています。
素朴な外観がのどかな景色に溶け込み、旅人を癒してくれそうです。

カトリック紐差教会

カトリック紐差教会

カトリック紐差教会
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紐差教会(ひもさしきょうかい)は平戸島(ひらどじま)のほぼ中央部、紐差湾を見下ろす小高い丘に位置し、明治初期の教会堂の建築後、1932年(昭和4年)の改修を経て現在の形になりました。
鉄筋コンクリート造りで、半円形を多用したロマネスク様式の外観は、堂々とした雰囲気がありながら、白亜の壁が優しさを感じさせてくれます。
被爆して倒壊した浦上天主堂(うらがみてんしゅどう)が再建されるまでは日本で一番大きな教会でした。
また平戸島(ひらどじま)のカトリック信徒の4割が所属しており、信徒たちの心の拠り所にもなっています。礼拝堂が二階にあるのが特徴です。
白いアーチが連なる柱は中世ロマンを感じさせ、背後の壁と天井には、ツバキなどの花柄模様が描かれています。
そしてステンドグラスから入る光と混じり、鮮やかな彩空間を作っています。教会建築を数多く手がけた鉄川与助の設計の一つですが、生涯仏教徒だった鉄川のコラボのセンスによるのかもしれません。
また表には聖マリアに祈りをささげる信者らを模った像の置かれた庭園があり、後方の田園風景に重なる眺めは癒された気分になります。

カトリック宝亀教会

かとりっくほうききょうかい

カトリック宝亀教会
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カトリック宝亀(ほうき)教会は、1898年(明治31年)に建てられた平戸では最も古い教会です。
キリスト教に改宗した五島列島出身の宮大工 柄本庄一(えもとしょういち)が、建設を手がけました。
正面からのデザインが独特です。
レンガの赤茶色と、漆喰の柱や窓枠などの白色がコントラストをなし、青空にも映える美しい外観です。
玄関上部にはヨセフとマリア像が左右に置かれ参拝者を迎えるように見おろしています。礼拝堂内部は蝙蝠屋根(こうもりやね)が鮮やかな曲線を描く空間に、ステンドグラスの光が差し込みます。
礼拝堂の左右には、教会には珍しく床まで届く窓があり、表のテラスとつながっています。
濡れ縁を思わせるようなデザインで、宮大工のセンスが持ち込まれているのかもしれません。
建設するとき、この地区の信徒全員が費用を工面しただけでなく作業にも従事していました。
しかし周囲には「外国人の神父に金をもらってキリスト教に改宗した」という、心ない噂が飛び交っていたそうです。
キリスト教との、真の共存が実現するまでにはまだまだ長い歳月が必要でした。

平戸オランダ商館

ひらどおらんだしょうかん

平戸オランダ商館
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平戸オランダ商館は、出島に移転する直前まで、日本に唯一置かれたオランダの貿易拠点で、建物は2011年に展示施設として復元されました。
1609年(慶長14年)にオランダ船が入港して以来、平戸は交易の街として栄えました。最初は土蔵付きの家屋を借り上げたものの、手狭となり、近辺の民家72戸を立ち退かせ事務所や倉庫を建設し、1639年に倉庫数棟を含む商館が完成したのです。
しかし喜びもつかの間、建物は直後に、幕府により取り壊されます。
理由は、建物にキリスト生誕につながる西暦の年号が記され、禁教令に背くという幕府の怒りを買ったもので、完成から二年後商館は出島に移転しました。
貿易の窓口を、出島に一本化する方針の幕府にとって、年号問題は格好の口実になったといえます。
忠実に復元された商館は、石造り三階建、背後の山と青空に美しく映えています。
展示物はどれも興味深く、特に航海で必要な地図、船の位置や速度を測る道具などその創意工夫に驚かされます。
平戸に咲いて散った、オランダ文化が蘇ったオランダ商館、大航海時代を覗く旅でもあります。

平戸大橋

ひらどおおはし

平戸大橋
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平戸大橋は、本土と平戸を結ぶ全長880メートルの吊り橋で1977年に開通しました。橋桁の高さは30メートルで3,000トンクラスの船舶が下を通過できるそうです。

鮮やかな朱色の塗装が、吊り橋独特のデザインと相まって優美な景観をつくり出しています。また平戸大橋の全景を眺めるのは、九州本土側の田平公園と平戸島側の平戸公園展望台からがお奨めです。

小高い丘からは海を挟んで対岸を結ぶ橋は海上を行き交う船舶や通行する車の動きと相まって歓声とシャッター音があちこちで聞かれます。

一方、平戸公園では、真下から見上げる橋は他を圧倒する迫力があり、灰色の橋脚に乗る橋の躯体は独特の造形美を造りだし、カメラファンには外せない絶景スポットです。
平戸はいち早く海外と交易を始めた街で、諸外国の中でもオランダがもたらした学術文化は日本に大きな影響を与えました。

田平公園展望休憩所横駐車場にはオランダとの修好400年を記念した石碑が置かれています。「日蘭胎動(にちらんたいどう)の地」と刻まれた記念碑、海峡を行きかう帆船を懐かしんでいるかのようです。

松浦史料博物館

まつらしりょうはくぶつかん

松浦史料博物館
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松浦史料博物館は旧平戸藩主 松浦家に代々伝わる資料を保存・展示する博物館で1955年に開館しました。建物は1893年に旧藩主の私邸として建てられた「鶴ヶ峯邸(つるがみねてい)」を利用しています。
松浦家は松浦党をルーツとし、壇ノ浦の合戦や元寇(げんこう)では水軍を率い参戦しています。
また、中国大陸と近いことからアジアとの貿易で力をつけて平戸藩の藩主となりました。西洋とも交易を行い、海外交流にまつわる資料も所蔵しております。特に「異国船絵巻」は外国船の形などから大航海時代の造船技術の一端を知ることができます。また、日本の天下人、豊臣秀吉が初めてキリスト教を禁じた定書「バテレン追放令」も所蔵されています。
これらの資料は国内のみならず海外の研究者にもその価値が認められつつあります。
貴重な成果が21世紀の今日でも発信されているのです。

中江ノ島

なかえのしま

中江ノ島
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平戸島(ひらどじま)と生月島(いきつきしま)の間、およそ2キロメートルほど先に小さな島、中江ノ島(なかえのしま)があります。長さ400メートル、幅50メートルの無人島で立ち入りは認められていません。禁教令の時代で1622年、国外追放処分を受けながらも密かに宣教を続けていた神父が、生月島で処刑されました。そして神父の活動を支えていた日本人信者とその家族も相次いで処刑され、その現場が中江ノ島でした。以来この島は、潜伏キリシタンにとって聖なる殉教の地として、崇拝の対象になりました。そしてキリスト教の特別な祭事に限って、信者による行事がこの島で行われます。上陸した信者は祈りをささげた後、断崖の割れ目から滴る水を聖なる水、聖水として汲んで持ち帰るもので「お水取り」と呼ばれています。水は祭壇に供えたり、洗礼や葬儀などの宗教行事に欠かせないもので信仰の拠り所の島です。殉教の聖地として崇拝の対象となっており「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」を構成する資産として世界遺産に登録されました。島の全景は生月大橋(いきつきおおはし)から眺めるのがベストだそうです。

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