水深日本一の田沢湖と武家屋敷
「田沢湖・角館・大曲」の観光音声ガイド

田沢湖/角館/大曲エリア紹介
TOURIST Guide編集部
渋谷朋子

田沢湖/角館/大曲エリア紹介

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岩手県との県境にほど近い秋田県東部は、豊かな自然に恵まれ歴史ある街並みが揃う観光地です。
水深日本一の「田沢湖」は日本のバイカル湖ともいわれ、ゆったりと水を湛えた湖面が旅人を優しく出迎えてくれます。
田沢湖の南の角館(かくのだて)は江戸時代初期から城下町として発展してきました。その名残を伝えるのが武家屋敷街で、当時の区割りのまま塀と並木に囲まれた屋敷が並ぶ通りは閑静な佇まいを見せています。その落ち着きぶりと静けさから、いつしか秋田の小京都と呼ばれるようになりました。また武家屋敷と並び角館を象徴するのが桜並木で、桧木内川(ひのきないがわ)沿いは日本一の桜のトンネルと愛でられ一斉に咲きそろうと町がピンクに染まります。南の大曲は日本一の規模を誇る花火競技会が有名です。古くは明治末期の祭りの余興だったものが年を重ねるごとにスケールアップし日本から花火師が集ってその美しさを競い合う一大イベントになりました。雪深い東北の山間部は、待ちわびた春の到来とともに人も自然も活気づく、そんなエネルギッシュなエリアをご紹介します。


田沢湖駅

A 田沢湖駅

田沢湖

B 田沢湖

田沢湖遊覧船

C 田沢湖遊覧船

御座石神社

D 御座石神社

浮木神社

E 浮木神社

田沢湖高原温泉郷

F 田沢湖高原温泉郷

角館駅周辺

G 角館駅周辺

角館祭りのやま行事

H 角館祭りのやま行事

火振りかまくら

I 火振りかまくら

武家屋敷通り

J 武家屋敷通り

抱返り渓谷

K 抱返り渓谷

古四王神社

L 古四王神社

全国花火競技大会(大曲の花火)

M 全国花火競技大会(大曲の花火)

スポット紹介

田沢湖駅

たざわこえき

田沢湖駅
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田沢湖駅はJR東日本・田沢湖線の駅で秋田県仙北(せんぼく)市内にあります。
開業は1923年で1997年の秋田新幹線開業を機に駅舎がリニューアルされました。木材とガラスを組み合わせたモダンなデザインです。あふれる透明感と十分な光を取り入れて見通しが良く、列車内から駅のホームや広場さらには後方の山々が見通せ、駅からはどの場所でも入線する列車が見えるのが特徴です。
またその景観から隣の角館駅と並んで東北の駅100選にも選ばれました。駅舎をデザインしたのは建築家 坂茂(ばんしげる)です。
坂は被災者向け仮設住宅で次々と新しいアイデアを提案し注目されています。
体育館などの避難所などで紙パイプと布を組み合わせたプライバシー空間は熊本地震でも採用され、被災者だけでなく地元自体からも喜ばれたそうです。
また2011年、ニュージーランドのクライストチャーチ大地震で倒壊した大聖堂の、仮設教会の設計も手掛けました。ボール紙を組み合わせた長い円筒で屋根を組んだ建物は「カーボードカテドラル」呼ばれ、ユニークなデザインとともに海外からも高い評価を得ています。

田沢湖

たざわこ

田沢湖
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秋田県のほぼ中央部に位置する田沢湖は、周囲20キロメートルの円形状で、水深423.4メートルという日本で一番深い湖です。太陽光は水中で遮られるため太陽の位置によって湖面の色が微妙に変化し、翡翠(ひすい)色や藍(あい)色など輝きが変化します。深い湖が持つ、その神秘的な彩が魅力となり、日本のバイカル湖と呼ばれるようになりました。色の変化は遊覧船や貸しボートから楽しめます。淡水魚の宝庫でしたが1940年(昭和15年)、湖水を農業用水と電源開発の両面で活用するため、上流に温泉を持つ玉川から水を引き込みました。しかし強度の酸性のため、酸に強いウグイを除いて魚類は全滅しました。戦後、水質を中和する努力が実りましたが、完全に回復しておらず、ウグイに加えコイやフナの生息にとどまっています。湖の周囲には飲食店や宿泊施設が並び、観光客らを受け入れています。
湖畔には「たつこ像」という金色の女性像があります。永遠の美貌を求め、お告げに従い大量の水を飲んだところ龍の姿に変わり湖に沈んでしまったという伝説によるものです。この像は、戦後日本を代表する彫刻家である舟越保武(ふなこしやすたけ)よって作られました。

田沢湖遊覧船

たざわこゆうらんせん

田沢湖遊覧船
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田沢湖遊覧船は直径6キロメートル周囲20キロメートルの湖を40分かけて遊覧する、クルージングボートです。
就航するのは「みどり丸」と「たざわ」の2隻で定員はそれぞれ110人と58人、湖の東側、田沢湖レストハウス前の白浜(しらはま)と西側の「たつこ像」がある、潟尻(がたしり)双方から乗船できます。
たつこ像は永遠の美貌を願う娘・辰子(たつこ)が、お告げで飲んだ水がますます喉の渇きを呼び、飲みすぎたあげく龍の姿のに変り果て、湖に沈んだという伝説に因み作られました。製作したのは日本を代表する彫刻家・舟越保武(ふなこしやすたけ)で女性らしさを強調する曲線が高く評価されています。敬虔なクリスチャンだった船越の代表作の一つが長崎県にある26人のキリシタン殉教者像です。作風こそ違いますが、どちらも顔の造作が似ているような感じです。また遊覧船から、じっと湖を見守るように立つ観音像が見えます。これは戦時中の国策で、田沢湖の貯水量を増やすべく玉川から強酸性の水を引いたところ死滅した魚を供養するため、周辺の寺院などが浄財を募り建立したものです。戦争の犠牲は魚にも及んだということです。

御座石神社

ござのいしじんじゃ

御座石神社
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御座石(ござのいし)神社は田沢湖北岸にある神社で室町時代末期の頃のものです。秋田藩主 佐竹義隆公(さたけよしたか)が、田沢湖を周遊中に腰を掛けて休憩をとった石に因んでいます。石は湖を見渡す眺めの良い場所にあります。
石のそばには、一本の木から7種類の木が生えた「七種木(なないろぎ)」があります。この木は、根元の雨乞い石をまもるために自然に生えたということです。
その石を動かすと嵐になるという言い伝えがあり、昔の人は雨を降らせるために利用したのでこの名が付きました。
そして田沢湖のシンボル「たつこ像」の辰子が永遠の美貌を保つためお告げに従って飲んだ泉、潟頭の霊泉(かたがしらのれいせん)があります。水を飲むほどに喉の渇きを覚えまた飲み続けるうちに辰子は龍に変身してしまいました。御座石神社の左手後方には、鏡岩(かがみいわ)があります。
田沢湖は冬も凍らない湖です。深くにある水は温度変化の影響を受けず比較的暖かく冬になると上昇して湖面の水を温めるからです。一方で辰子と同じく龍になった八郎潟(はちろうがた)の守り神「八郎太郎(はちろうたろう)」と辰子が、田沢湖で逢瀬を重ねているからという珍説もあります。

浮木神社

うききじんじゃ

浮木神社
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浮木神社(うききじんじゃ)の創建年度は不詳ですが1769年(明和6年)、秋田藩士で儒学者にして俳人でもある益戸滄州(ますどそうしゅう)により漢槎宮(かんさぐう)と命名されたことから、少なくともそれ以前に建立されたものです。以来二つの名称が使われています。浮木神社は湖を漂着する流木を祀り、塗装を施さない白木造りの珍しい神社です。湖にせり出し石組みの土台に立つ神社は湖面の水位の変化で違った景観を見せてくれます。すぐそばには「たつこ像」もあり、美しい湖面と神社を合わせて撮影できます。浮木神社は豊漁の神様とも言われています。季節にもよりますが、神社の土台付近には湖面を黒く染めるほどの魚の群れが押し寄せます。これらはウグイです。戦時中に湖の貯水量を増やすため強酸性の水を玉川から引き込みました。すべての魚類が絶滅する中、酸に強いウグイだけが生き残ったのです。天敵だった大型の魚が姿を消し、個体種で生態系のトップに躍り出たウグイは、ほかの河川に比べ一回り大きくなりました。神社ではこのウグイ用のエサも売っています。エサやりしながら大きさを確認してみませんか?

田沢湖高原温泉郷

たざわここうげんおんせんきょう

田沢湖高原温泉郷
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田沢湖高原温泉郷は南西部に田沢湖を見下ろす田沢湖北東部に広がる高原で標高1,637メートルの秋田駒ケ岳(あきたこまがたけ)の登山口です。田沢湖高原は標高700メートルから緩やかな登り勾配を形成し、4キロメール先の乳頭温泉(にゅうとうおんせん)と併せると宿泊施設は20軒ほど、年間を通して多くの観光客が訪れます。夏から秋にかけては、新緑や紅葉に瑠璃色が映える田沢湖を眺めながらの散策や、秋田駒ケ岳へのハイキングが最適です。
また冬は、高原の斜面がゲレンデになる田沢湖スキー場が賑わいます。田沢湖から吹き上げる、強い向かい風を受けながらの大滑降は迫力満点です。季節を問わずアウトドアを楽しんだ後は温泉に浸かるのが一番ですね。
湯は硫黄泉(いおうせん)で、独特の匂いですが、疲労回復だけでなくアトピーなど様々な皮膚疾患、生活習慣病にも効果があるそうです。ところで高原にそびえる駒ケ岳、全国には木曽駒ケ岳(きそこまがたけ)や甲斐駒ヶ岳(かいこまがたけ)など、20もの駒ケ岳が存在します。駒は馬のことで、山の形や岩肌と雪の模様を馬に見立てたそうです。山間の生活に馬は身近な存在だったいうことですね。

角館駅周辺

かくのだてえきしゅうへん

角館駅周辺
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武家屋敷風の駅舎が特徴のJR角館駅(かくのだてえき)は、1976年に今のデザインに改装されました。東から流れる玉川に合流する桧木内川(ひのきないがわ)沿いにあり、三方を山に囲まれた角館は、江戸時代から佐竹北家(さたけほっけ)の城下町として栄えてきました。その風情を残す武家屋敷街を中心とした佇まいから、「みちのくの小京都」とも呼ばれています。
町並みの原型は、1620年(元和6年)に当時の大名による町割りと呼ばれる区画整理で出来上がり現在に至っています。桧木内川沿いに並ぶ縦長い街を、中央部に設けた火除け(ひよけ)という広場で南北に分け、北半分を武家屋敷街、南側を町人街と定め、それぞれ内町(うちまち)、外町(とまち)と呼びました。
そして火除け広場には、当時は土塁(どるい)まで築き、外町で火災が発生しても武家屋敷への延焼は食い止めたそうです。
身分社会が徹底していた証です。外町は観光客向けの土産物屋が集まっており、武家屋敷街の散策後の立ち寄り場所にうってつけです。またこの町を彩るのが桜です。春は武家屋敷街の枝垂れ桜、桧木内川沿いのソメイヨシノの桜並木は街中をピンクに染め、国の名勝にも指定されています。

角館祭りのやま行事

かくのだてまつりのやまぎょうじ

角館祭りのやま行事
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無病息災、商売繁盛などを願う「角館祭りのやま行事」は350年の歴史があり、毎年9月上旬の3日間だけ行われます。
祭りは、地区ごとにある17台の曳山(ひきやま)が市内を練り歩いたあと、神明社(しんめいしゃ)と薬師寺(やくしじ)を参拝し当地の領主だった佐竹北家を表敬するものです。人形飾りなどの装飾を施した曳山(ひきやま)は高さが5メトール、お囃子や踊り手が乗り、重さは7トン近くになります。最大の見せ場は、参拝などを終えた後に起きる「やまぶっつけ」と呼ばれる、曳山同士の衝突です。
これは狭い道ですれ違う時、参拝前は譲り合うルールがありますが、その後はどちらが優先か両者の交渉になります。話し合いが決裂すれば実力行使しかなく、双方が激しくぶつかり合うのです。曳山が激しい勢いで衝突すると、担ぎ手の掛け声と観客の歓声が混じり興奮は最高潮に達します。またぶつかるのは「お約束」という共通認識もあるそうで、大阪・岸和田の「だんじり祭り」などと並び、日本三大喧嘩祭りの異名もあるとか。世界無形文化遺産にも登録されたこの祭り、ゆく夏を惜しむかのように地元市民がエネルギーを発散させるイベントです。

火振りかまくら

火振りかまくら
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冬は深い雪に閉ざされる角館ですが、火を使った熱気あふれるイベントが「火振りかまくら」です。400年前から伝わる伝統行事で毎年2月13、14日に行われます。2メートルほどのワラで編んだ縄の先端に、小さな炭俵を取り付け、火をつけてふりまわすものです。
さながら紅蓮の龍がのたうち回るようにも見える炎の饗宴、縄を振り回す人を中心にして、闇の中に炎の輪が回る光景は、海外の先住民の祭りを見るような、野性味と神秘性にあふれています。
縄の持ち手は自身の身体を清め、水田に降りかかる災厄を落とし併せて五穀豊穣・無病息災を祈ります。
祭りの締めくくりは、高さ5メートルほどの木にワラを巻き付けて燃やす「天筆焼き」で、その年に厄年の人が点火します。やけどの心配もなんのその、大人に混じって子供も参加する祭り、観光客の飛び入りも大歓迎だそうです。
この時期の農家は農作業の準備期間で、かつては縄を編むのは重要な仕事でした。
雪深い山里で、春を待ちわびる日々から生まれた祭り、雪国ならではの、火に対する強い思いが感じられます。

武家屋敷通り

ぶけやしきどおり

武家屋敷通り
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「みちのくの小京都」と呼ばれる角館(かくのだて)を象徴するのが武家屋敷通りです。江戸時代初期に地域大名が、三方を囲む山と、直角にぶつかる川の地形を利用して、城下町として大掛かりな町づくりに着手しました。そして町割り(まちわり)と呼ばれる区画整理を行い、武家と町人の居住区を明確に分けて誕生したのです。桧木内川(ひのきないがわ)に沿って南北の通りを整備し、その中間を東西に、火除け(ひよけ)と呼ばれる防火用の広場を造って、北側を武士の住む内町(うちまち)、南を町人の住む外町(とまち)としました。武家屋敷通りはこの地域を治めた領主の芦名家(あしなけ)に仕える、いわばエリート武士の住居が集まっていました。現在は、南北700メートルの閑静な通りに6軒の屋敷が建っています。黒板塀(くろいたべい)に挟まれた門をくぐった先にある屋敷はいずれも風格に満ちています。特に畳敷きの座敷や板張りの縁側、苔むす庭など、江戸時代の家屋を思わせる空間に、誰もが動きを止めて浸っているようです。また敷地のシダレザクラやモミが、落ち着きある町並みを演出しています。桜の開花時期は桧木内川堤のソメイヨシノと併せピンク一色に包まれます。

抱返り渓谷

だきがえりけいこく

抱返り渓谷
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角館から北東方向、玉川中流沿いにあるのが抱返り渓谷です。渓流沿いにそそり立つ崖の道は、人がすれ違うとき、お互いを抱きかかえるように身を返さなければ通れなかったほど、狭く険しい山道でした。
その足場の悪さから、東北の耶馬渓と呼ばれています。青く澄み切った渓流を挟む崖は、人を寄せ付けない迫力と美しさが同居しています。
抱返り神社から遊歩道を出発し、ほどなく歩くと目に入るのが、真っ赤なつり橋「神の岩橋」です。
秋田県で最も古いつり橋で、1926年(大正15年)に完成しました。
背後の山と重って川面に美しく映えます。
さらに進むと、眼下の渓流が最も美しいと言われる誓願橋があります。
淵に渦巻く泡が、願(がん)をかけて寺で焚く、線香の煙のように見えるのが名前の由来です。
そして渓谷を代表するのが回顧の滝、落差30メートルからエメラルドブルーの水面に落下する景観に釘付けになり、何度も振り返って見たくなるからだそうです。
この遊歩道は、廃止された森林軌道跡で、切り出された杉の運搬に利用していました。
線路工事はさぞ大変だったに違いありません。

古四王神社

こしおうじんじゃ

古四王神社
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古四王神社は室町時代末期の1570年(元亀(げんき)元年)に、この地方の領主戸沢(とざわ)氏の家臣である冨樫左衛門太郎勝家(とがしさえもんたろうかついえ)が、戦火から地域を守るとともに、領民の安寧を願い建立したと伝えられています。本殿は国の重要文化財に指定されています。1930年(昭和5年)の解体修理の際、「古川村 大工 甚兵衛」と墨書した部材が発見され、飛騨国(ひだのくに)古川村(現在の岐阜県飛騨市)の名工・甚兵衛の作であることが判明しました。一間社(いっけんしゃ)と呼ばれる小さな社殿には、菊唐草を浮き彫りした水引虹梁(みずひきこうりょう)や、鴛鴦(おしどり)を模した蟇股(かえるまた)、高欄には木目を活かして作られた擬宝珠(ぎぼし)など、繊細な絵様の彫刻が施されています。その一方で、荒削りな太い丸太を使った床組などは堅牢な造りとなっています。こうした自由で豪快な建築手法がこの神社の特徴で、当時の建築史の最高権威である東京帝国大学教授の伊東忠太(いとうちゅうた)博士は「奇中の奇、珍中の珍」と感嘆し、京都帝国大学教授の天沼俊一(あまぬましゅんいち)博士も「日本・中国・インドを超越した天下一品の建物」と絶賛しました。

全国花火競技大会(大曲の花火)

ぜんこくはなびきょうぎたいかい(おおまがりのはなび)

全国花火競技大会(大曲の花火)
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「大曲の花火」で知られる全国花火競技大会は、明治末期の1910年、諏訪神社大祭の余興で始まりました。
年を重ねるごとに全国から腕自慢の花火師が集まって豪華になり土浦、長岡と並び日本三大花火競技会の一つに数えられています。大曲の特徴は、明るいときに打ち上げる「昼花火」です。日没前に打ち上げた花火は、赤や青、黄色、紫など、極彩色の煙の帯となって空中を舞い、茜色の空に美しく映えます。
そして轟音とともに光の大輪を描く10号玉と呼ばれる大型花火、弾けるタイミング、形や美しさ、消えるまでの時間などを競うのでそれらを見比べてみましょう。
オリジナルのデザインに加え、花火師自らが設定したテーマを花火でイメージする、創造花火も競技の対象で、闇夜に浮かぶ光の芸術にふさわしい輝きを放ちます。
パッと開いて散る光の祭典は毎年8月最終土曜日の年一回のみ、このイベントを広く伝える資料館「はなび・アム」がオープンしました。
過去の打ち上げを4K映像で見られるほか、花火の歴史や仕組みを模型で展示しており、これを見れば花火通にもなれます。

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