美しき瀬戸内としまなみ海道
「尾道」エリアの観光音声ガイド10選

尾道エリア紹介
TOURIST Guide編集部
吉川雅子

尾道エリア紹介

おのみち
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歴史と風情のある街 尾道は、本土と複数の島々で形成されています。本土は坂の街であり、海に面している街ながら、後背(こうはい)には山がそびえています。今でも風情ある古い建物が建ち並び、映画やドラマのロケ地としても有名です。神社仏閣が多いので御朱印帳(ごしゅいんちょう)を片手に巡るのも楽しいかもしれません。しまなみ海道の入口でもある尾道は、瀬戸内海に浮かぶ大小さまざまな島へのアクセスも良好です。瀬戸内の島は瀬戸内レモンの産地として有名なほか、村上海賊の本拠地として歴史的な側面を持っていたり、美術館が数多く存在するなど芸術面でも魅力的です。


猫の細道

A 猫の細道

千光寺 本堂

B 千光寺 本堂

千光寺 玉の岩

C 千光寺 玉の岩

久山田水源地

D 久山田水源地

爽籟軒庭園

E 爽籟軒庭園

NPO法人 工房尾道帆布

F NPO法人 工房尾道帆布

瀬戸内しまなみ海道

G 瀬戸内しまなみ海道

因島水軍城

H 因島水軍城

白滝山

I 白滝山

島ごと美術館

J 島ごと美術館

スポット紹介

猫の細道

ねこのほそみち

猫の細道
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この猫の細道は、ふもとの招き猫美術館から天寧寺(てんねいじ)まで続く約200メートルの道です。尾道では1997年から、アーティストの園山春ニ(そのやましゅんじ)氏がスタートさせた「尾道イーハトーヴ」と呼ばれる空間プロジェクトが行われています。イーハトーヴとは宮沢賢治の造語で、理想郷を表す言葉です。園山氏は街と人をアートでつないだ理想郷を作るべく、このプロジェクトを発足させました。彼はまず、廃屋となってしまった古きよき日本家屋を改築し、満月の夜にだけ開く美術館「梟の館(ふくろうのやかた)」をオープンさせました。その動きは市民にも広まり、以来次々と古民家や廃屋がリニューアルされています。また、改築された古民家が立ち並ぶ道には「福石猫(ふくいしねこ)」と呼ばれる石が置かれており、これも園山氏の手によるものです。1つの福石猫ができるまでには約1年もの時間を要します。 まず波に揉まれて角が取れた丸い石を探し、それを約半年間塩抜きした上で、特殊な絵の具を三度塗り重ねます。そして最後に艮神社(うしとらじんじゃ)でお祓いを受けます。こうして完成した福石猫は現在、猫の細道に108匹潜んでいます。

千光寺 本堂

せんこうじ ほんどう

千光寺 本堂
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千光寺は806年、弘法大師空海(こうぼうだいしくうかい)によって創立されました。境内には8つの建造物がありますが、その中でも代表的なのが俗に赤堂と呼ばれる朱色の本堂です。本堂の本尊千手観世音菩薩(ほんぞんせんじゅかんのんぼさつ)は33年に1度しか開帳しない秘仏で、前回の開帳は2013年でした。本尊千手観音は言い伝えにより「火伏せの観音(ひぶせのかんのん)」とも呼ばれています。その言い伝えとは、江戸時代に長屋から出火した際に、この観音様に祈願したところたちまち風向きが変わり、本宅に延焼せずに済んだというものです。現在では、試験合格や病気平癒(へいゆ)をはじめとして、様々な願いが成就する観音様として参拝する人が絶えません。

千光寺 玉の岩

せんこうじ たまのいわ

千光寺 玉の岩
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千光寺の境内には、お堂などの建造物のほかに、4つの岩が存在します。山肌からせり出している一際大きなこの岩は「玉の岩」と呼ばれ、その昔この岩の上に光を放つ宝玉があったことからこの名がついたと言われています。言い伝えでは、岩の上にあった宝玉は毎夜海上を照らしていましたが、ある日異国人により密かに持ち去られてしまったそうです。現在でも岩の上には直径14センチメートル、深さ17センチメートルの穴があり、宝玉の代わりに三色に輝く玉が設置されています。なお、千光寺という名も大宝山(たいほうざん)というこの山の名も、宝玉にまつわる伝説が元になっているそうです。

久山田水源地

ひさやまだすいげんち

久山田水源地
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久山田水源地(ひさやまだすいげんち)は1924年に竣工した、今でも現役の石積みのダムです。人口増加による慢性的な水不足を解決するために造られました。総事業費130万円のうち100万円を尾道の実業家である山口玄洞(やまぐちげんどう)氏の私財で賄っており、山口氏はこの功績により後に尾道の名誉市民の称号が与えられました。仏教への信仰が篤かった山口氏は、喜捨の心(きしゃのこころ)で100万円を寄付しました。晴れてダムが完成し、市の方から『胸像を作らせてほしい』と申し出たところ、『そのようなもの欲しさの寄付では無い』と一喝されたといいます。
毎年、梅雨入り前にダムの周辺で「水神祭(すいじんさい)」と呼ばれる祭りが開かれ、山口氏へ感謝の意を表しつつ、今年も水枯れが起きないようにと祈りが捧げられています。2004年には登録有形文化財に指定されました。

爽籟軒庭園

そうらいけんていえん

爽籟軒庭園
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爽籟軒(そうらいけん)は江戸時代の名士である橋本家の別荘でした。橋本家は沿岸部の埋め立て事業を行い、現在に続く街並みの基礎を作りました。明治期には広島県内初となる銀行の頭取を務めるなど経済界にも影響を与え、豪商としての地位を確立していきました。爽籟軒の庭園には海から客を招くための船着場や、潮の変化で表情を変える池など、海の特徴を活かした造形が施されています。庭園内にある「明喜庵(みょうきあん)」という茶室は、京都にある「妙喜庵待庵(みょうきあんたいあん)」を模して造られました。妙喜庵待庵は千利休の手によるもので、国宝に指定されています。当庭園の明喜庵は尾道市の重要文化財に指定されており、1850年に建造された当時の趣を今に伝えています。

NPO法人 工房尾道帆布

えぬぴーおーほうじん こうぼうおのみちはんぷ

NPO法人 工房尾道帆布
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尾道は江戸時代に北前船(きたまえぶね)の寄港地だったことから、かつて海上交通の要衝としての顔を持っていました。その関係で帆船(はんせん)の帆に使う布の生産が盛んで、時代を下るとともに通気性の良さや丈夫さを活かして、テントや作業服にも使われるようになっていきました。特に第二次世界大戦中は生産が多く、尾道市内だけでも工場が10社ほど存在していたといいます。ところが戦後になると、安くて軽い合成繊維に市場を奪われ、尾道帆布(おのみちはんぷ)はみるみる衰退していきました。最盛期には10社あった工場も市内にある1つを残すのみとなってしまったのです。しかし近年になると尾道帆布が再評価されるようになり、尾道帆布を使って様々なバッグが作られるようになりました。今では地域の雇用拡大にも寄与しており、製作所は地域の人が集う場所となっています。丈夫で色鮮やかなバッグは地元の人だけでなく観光客にも大人気です。

瀬戸内しまなみ海道

せとうちしまなみかいどう

瀬戸内しまなみ海道
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尾道市と愛媛県今治市を結ぶこのルートは、全長約60キロメートルに及びます。尾道側から順に、向島(むかいしま)、因島(いんのしま)、生口島(いくちじま)、大三島(おおみしま)、伯方島(はかたじま)、大島(おおしま)など島を結んでおり、計9基の橋が架かることから別名「橋の美術館」とも呼ばれています。特に大島と今治市を結ぶ来島海峡大橋(くるしまかいきょうおおはし)は世界初の三連吊橋(さんれんつりばし)として知られています。来島海峡は、海峡の狭さと複雑な地形が相まって潮の流れが速く複雑に変化するため、古くから日本でも有数の「海の難所」と言われてきました。そのため橋梁計画においては船舶航行(せんぱくこうこう)の安全性や車両の走行性を考慮して、吊橋3本を直線的に繋げる三連吊橋が採用されました。しまなみ海道は徒歩や自転車でも渡れるのが大きな特徴であり、世界的に有名なアメリカCNNの旅行情報サイトで「世界で最もすばらしい7大サイクリングコース」にも選出されました。2014年からは2年に1度、秋に高速道路を規制してサイクリング大会も開かれています。

因島水軍城

いんのしますいぐんじょう

因島水軍城
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因島水軍城(いんのしますいぐんじょう)は「城」と名前がついていますが、実際のところ全国でも珍しい城の形をした資料館です。因島は近年小説などでも有名となった「村上海賊」の本拠地で、村上海賊は南北朝時代から室町時代にかけてこの辺り一帯の海域を制覇していました。海賊というと悪いイメージがありますが、村上海賊は潮流が激しいこの地に海路の要所を置くことで航行者の安全を守り、国内外の高級な陶磁器の流通にも携わってきました。また、茶や連歌(れんが)をたしなむ文化人としての顔や、瀬戸内海の新鮮な魚介類を獲る漁業者の顔を持ち合わせており、数百年にわたり繁栄を遂げてきました。因島水軍城では、このような興味深い歴史を持つ村上海賊ゆかりの展示を楽しむことができます。

白滝山

しらたきやま

白滝山
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白滝山は標高226メートルの山で、山腹の仁王門から頂上まで大小約700体の石仏(せきぶつ)が所狭しと並んでいます。この石仏は江戸時代後期に柏原伝六(かしはらでんろく)とその弟子 柏原林蔵(かしはらりんぞう)によって造られました。伝六は神道・儒教・仏教に加え、当時禁制だったキリスト教の、四大宗教の共通理念を基礎に「一観教(いっかんきょう)」と呼ばれる宗教を開き、白滝山に清浄世界(しょうじょうせかい)をあらわすために石仏を制作しました。石仏は3年の歳月をかけて完成しましたが、伝六は石像作りに着手した1年後に一揆を怖れる広島藩により毒殺されました。なお戦国時代にまでさかのぼると、村上海賊の6代目当主が本土と因島の間の海峡である布刈瀬戸(めかりせと)の見張りどころとして観音堂を建立したと伝えられています。白滝山は標高226メートルと決して高い山ではありませんが、頂上から望む瀬戸内の風景はさえぎるものもなく、格別の景色をご覧いただけます。

島ごと美術館

しまごとびじゅつかん

島ごと美術館
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生口島(いくちじま)は島内に大小さまざまなアート作品があることから「島ごと美術館」と呼ばれ、その名の通り、島全体が美術館となっています。島の海岸線に沿って、17人の現代アーティストによる17のオブジェが展示されており、すべて無料で楽しむことができます。島の美術展示としては香川県の直島(なおしま)が有名ですが、生口島は日本画家の平山郁夫(ひらやまいくお)が生まれた島ということもあり、美術への取り組みは負けていません。推薦された17人のアーティストはそれぞれ、自身で作品の設置場所を選び、各々その場所からインスピレーションを受けて作品を制作したと言われています。

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