上賀茂・下鴨神社から植物園まで
上賀茂・下鴨エリアの観光ガイド

上賀茂・下鴨エリア紹介
TOURIST Guide編集部
吉川雅子

上賀茂・下鴨エリア紹介

かみがも・しもがも
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ここでは上賀茂神社(かみがもじんじゃ)を頂点に賀茂川(かもがわ)を挟み西に船岡山(ふなおかやま)、東に下鴨神社(しもがもじんじゃ)、と三角形を描く地域をご紹介します。
賀茂氏(かもうじ)の氏神を祀る上賀茂神社、下鴨神社は、いずれも京都でもっとも古い神社のひとつ。数多くの国宝や重要文化財を有し、世界遺産にも登録されているため、各国から参拝者が訪れます。三角形の左下、北区南部は「紫野(むらさきの)」といい、平安時代は貴族の狩猟場だった地域です。ここには、京の都において北の守護神 玄武とみなされる船岡山や、広大な境内に多くの塔頭が立ち並ぶ今宮神社などがあり、年中大混雑している嵐山や四条などに比べると、比較的歩きやすいエリア。季節や時間帯によっては驚くほど静かにお参りできる寺院もあります。
一方、街歩きをするなら、三角形の中心右寄りにあたる北山がおすすめ。おしゃれなカフェや雑貨屋が集まるデートスポットもあります。


下鴨神社(賀茂御祖神社)

A 下鴨神社(賀茂御祖神社)

河合神社

B 河合神社

京都府立植物園

C 京都府立植物園

上賀茂神社(賀茂別雷神社)

D 上賀茂神社(賀茂別雷神社)

神光院

E 神光院

今宮神社

F 今宮神社

船岡温泉

G 船岡温泉

船岡山公園

H 船岡山公園

建勲神社

I 建勲神社

スポット紹介

下鴨神社(賀茂御祖神社)

しもがもじんじゃ(かもみおやじんじゃ)

下鴨神社(賀茂御祖神社)
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樹齢数百年の木々が生い茂る「糺の森(ただすのもり)」。神聖な森を貫く参道の先に悠然と構える下鴨神社は、もとは上賀茂神社とひとつの神社でした。詳しい創建はわかっていませんが、奈良時代より以前には、すでにある程度の規模のお社であったと考えられています。東と西に配置されたふたつの本殿は国宝。社殿もほとんどが重要文化財に指定されており、大半は江戸時代前期に建立、または再建されたものです。その内、特別公開されている「大炊殿(おおいどの)」は、ごはんや餅など穀物を使った神様へのお供えものを調理する台所で、伝統的なお供えの複製や調理器具などを展示。この種の社殿が今も残る神社は非常に珍しく、日本独自の食文化が垣間見える貴重な文化財です。
境内には縁結びの神さま、相生社(あいおいのやしろ)をはじめ、干支の守り神である言社(ことしゃ)、「みたらし社」としても知られる災難・厄除けの井上社(いのうえしゃ)など複数のお社があり、それぞれ篤い信仰を集めています。
なお、下鴨神社の名物はみたらし団子が有名ですが、一の鳥居の門前にある「さるや」では、明治初年まで葵祭りの折にお供えものとして出していた「申餅(さるもち)」を復元し、新たな名物として話題になっています。

河合神社

かわいじんじゃ

河合神社
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糺の森(ただすのもり)の南側に位置する河合神社は、女性に人気のパワースポット。「かものかわあいにいますおこそべじんじゃ(鴨川合坐小社宅神社)」ともいい、規模は小さいながら、初代天皇である神武天皇の母 タマヨリヒメノミコト(玉依姫命)をお祀りする、下鴨神社の第一摂社です。玉のように美しいタマヨリヒメは、安産、縁結び、美容など女性の願いをきいてくださる守り神。美しくなりたい女性には、なりたい顔を描けば願いが叶うという「鏡絵馬」が用意されています。
境内の西側に建つ小さなお社は、任部社(とべしゃ)。ご祭神のヤタガラスノミコト(八咫烏命)は、日本サッカー協会のシンボルとなっているため、サッカーの勝利祈願に訪れる方もいます。
また、境内には「方丈記」の作者 鴨長明(かものちょうめい)が晩年過ごした庵(いおり)の複製も展示されています。「方丈」とは「一丈四方」のこと。一丈はおよそ3メートル。この3メートル四方の小さな小屋で書かれた随筆が「方丈記」です。鴨長明は下鴨神社に仕える家系に生まれ、当時は「ただすのやしろ」と呼ばれたこの河合神社に務めることを望みましたが、叶いませんでした。なお、伏見の日野山(ひのやま)には「方丈石」と呼ばれる巨大な石があり、実際の庵の跡地だといわれています。

京都府立植物園

きょうとふりつしょくぶつえん

京都府立植物園
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日本初の公立総合植物園として大正13年に開園。京都市街北部の平坦地に位置し、東は比叡山(ひえいざん)、東山連峰を望み、西に賀茂の清流、北は北山の峰々を背景とした景勝の地にあります。
およそ24万平方メートルの広い敷地には、約12,000種類の植物が植栽展示され、四季折々の彩りを楽しめます。春は、ソメイヨシノやヤエベニシダレをはじめ150品種の桜が順次開花し、1か月以上にわたり楽しめます。秋には、紅葉が見事です。あじさい園の樹齢100年を超えるフウも見応えがあります。洋ラン展や菊花展など年間を通じて、さまざまな展示会も開催しています。
また、観覧温室は国内最大級で世界の熱帯植物や希少植物を間近に観賞できます。中でも、昼に夜の空間を創り出し、普段見る機会が少ない夜に咲く花を見学できる「昼夜逆転室」や、世界や日本の様々な高山植物を観賞できる「高山植物室」も見どころです。
時間があれば、北山門の隣にある「京都府立陶板名画の庭」にもぜひ足を運んでください。植物園との共通券も販売されています。

上賀茂神社(賀茂別雷神社)

かみがもじんじゃ(かもわけいかづちじんじゃ)

上賀茂神社(賀茂別雷神社)
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上賀茂神社は、京都で最も古い神社のひとつです。古来より朝廷とのつながりが非常に強く、千年以上の歴史を誇る5月の葵祭(あおいまつり)は、平安貴族の衣装に身を包んだ人々が、葵の葉で飾られた牛や馬、牛車とともに練り歩き、その壮麗な行列が度々平安絵巻にたとえられる、上賀茂神社で最も重要な祭儀です。
境内では二の鳥居を抜けると、細殿(ほそどの)の前に盛られたふたつの砂山がまず目に入ります。これらは「立砂(たてずな)」と呼ばれ、ご神体である神山(こうやま)を表しています。立砂の頂点に立つ松葉は神さまが降臨するための目印で、向かって右は二葉、左は三つ葉。これは陰陽思想によるもので、偶数(二葉)は陰、奇数(三葉)は陽を表しています。
国宝の本殿と権殿は、有料の特別参拝に申し込めば拝観可能。縁結びの神さまとして知られる片山御子(かたやまみこ)神社は女性に人気です。また、平安後期の庭園を模した渉渓園(しょうけいえん)や、木々の間を流れる小川など、風光明媚な自然の景観には心が癒されます。時間があれば是非「社家町(しゃけまち)」にも足を運んでください。社家とは神に仕える家系のこと。一の鳥居の東側、明神川沿いに屋敷が集まるこの地区は、伝統的建造物群として風情ある家並みが残されています。

神光院

じんこういん

神光院
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神光院の創建は、鎌倉時代。上賀茂神社の神職が「霊光の照らした地に一宇(いちう)を建てよ」というご神託を受け、この地に上賀茂神社の建物を移築してお寺を建立しました。寺院でありながら「神」の名がつくのは、このご神託に由来します。ご本尊は、弘法大師像。平安時代に弘法大師 空海が42歳の厄除け修行を行った末、自らの姿を木に彫ったものです。 空海ゆかりの寺は、ほかに東寺(とうじ)、仁和寺(にんなじ)があり、京都にはこれら3つのお寺をお参りして厄除けを祈願する風習「京の三弘法(きょうのさんこうぼう)めぐり」があります。
また、野菜にまつわる行事が多い京都において、神光院は毎年7月に行われる「きゅうり封じ」が有名です。名前と数え年、病名を書いた半紙で包んだ「きゅうり」を水引で結び、祈祷を受け、身体の悪いところを撫でて庭に埋めると、きゅうりが土に還るころに病気が治ると信じられてきました。
緑豊かな境内にたたずむ「蓮月庵(れんげつあん)」は、幕末の歌人で陶芸家の大田垣蓮月(おおたがき れんげつ)が晩年を過ごした茶室。蓮月が自ら詠んだ和歌を自作の陶器に掘った「蓮月焼」は、京の土産物として大変評判になったといわれています。

今宮神社

いまみやじんじゃ

今宮神社
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平安時代、京の都で疫病が蔓延。この紫野の地に祀る疫神を鎮めるために御霊会(ごりょうえ)が営まれたことにより、今宮神社が建てられました。以降、疫病鎮静の社として崇められてきましたが、戦国の世を経て一度は衰退。これを復興させたのが、桂昌院(けいしょういん)です。桂昌院は西陣の八百屋の娘で、のちに3代将軍 徳川家光の側室となり、5代将軍 徳川綱吉を産んだ女性。非常に信仰心が篤く、故郷の氏神である今宮神社の社殿の修復や、祭事のための鉾(ほこ)を寄贈するなど、再興に力を尽くしました。疫神を鎮め、無病息災(むびょうそくさい)を願う「やすらい祭」や「今宮祭(いまみやまつり)」が今に残るのは、祭の底流に民衆の疫神信仰があるからだといえます。
境内では、織物の神さまで技芸上達につながる織姫社や、登録有形文化財の絵馬舎のほか、手で撫でたあと、身体の悪いところをさすれば病気平癒のご利益があるという不思議な神占石「阿呆賢(あほかし)さん」などが見どころ。
参拝後のひと休みは、名物「あぶり餅」がおすすめです。東門の前には、創業が平安時代という日本最古の茶屋「一文字屋和助(いちもんじやわすけ)」と、1637年創業の「かざりや」が向かい合っています。今宮神社のすぐ南側には臨済宗の古刹、大徳寺があり、あわせてお参りするとよいでしょう。

船岡温泉

ふなおかおんせん

船岡温泉
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船岡温泉は、大正12年に料理旅館「船岡楼」として創業しました。その後、昭和8年に日本初の電気風呂を導入し「特殊船岡温泉」となり、京都の銭湯好きはもちろん、観光客も足を運ぶ人気スポットです。
「船岡温泉」という名前ですが、お湯は天然温泉ではありません。この銭湯が人々を魅了するわけは、その建物にあります。まずはその門構え。一見して普通の町の銭湯には見えない、巨大な石垣に囲まれた重厚な玄関は、まだ料理旅館だった昭和3年に造られたものです。脱衣場の天井を飾る彫刻は、牛若丸と鞍馬天狗。この銭湯は鞍馬口通(くらまぐちどおり)に面しており、鞍馬天狗は牛若丸に剣術を教えたという伝説にちなんだ作品です。一方、洗面室や浴場の壁を彩るのは、希少なマジョリカタイル。100年近く経った今も色褪せていません。芸術ともいえるこれらの内装は、平成15年、国の有形文化財に登録されました。隣には、同じく文化遺産に指定された船岡温泉旧理髪店があり、側面の壁には昭和8年に「特殊舟岡温泉」と改称された時の名残がみられます。

船岡山公園

ふなおかやまこうえん

船岡山公園
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京を見下ろす船岡山に昭和6年に造られた船岡山公園は、子ども用の遊具や広場がある市民憩いの場。標高はおよそ112メートル。頂上の展望台からは、京都タワーを含む京都のまち並みを一望でき、夜景スポットとしても知られています。
この丘のような小さな山は、歴史上、重要な役割を果たしてきました。平安京をつくる際、船岡山を北の守護神 玄武と定め、ここから南に引いた朱雀大路を中心として東西対称にまちが作られたのです。平安中期になると、この地域は多くの皇族や庶民が葬られた墓地でした。現在でも山のふもとには「閻魔前町(えんままえちょう)」という地区があり、この地があの世と密接なつながりをもつ土地であったことがうかがえます。室町時代には、応仁の乱においてこの山の争奪戦が繰り広げられ、「応仁永正(えいしょう)戦跡」の石碑は、1511年に起こった船岡山合戦を今の世に伝えるものです。その後、豊臣秀吉によりこの山は大徳寺に譲られ、織田信長の霊地として崇められてきました。東側に立つ建勲神社(けんくんじんじゃ)は信長をご祭神に、息子の織田信忠(おだ のぶただ)が祀られています。

建勲神社

たけいさおじんじゃ(けんくんじんじゃ)

建勲神社
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「けんくんさん」で知られる建勲神社(けんくんじんじゃ)。正式な読み方は「たけいさおじんじゃ」です。ご祭神は織田信長で、天下統一を目指し勇猛果敢(ゆうもうかかん)に前へ突き進んだその生き方から、大願成就、難局突破、開運の神として信仰を集めています。
ここに信長公が祀られるようになったいきさつは、信長の家臣 豊臣秀吉に関係します。本能寺の変ののち、秀吉は大徳寺で信長の盛大な法要を執り行いました。
さらに秀吉は船岡山に信長を祀る寺を建てようとしましたが、計画は頓挫(とんざ)。寺院は建ちませんでしたが、以降この山は信長の霊地とされます。時は明治に移り、明治天皇の決定により、戦国の世を終わらせ天下統一の道筋をつけた信長の偉業を賛えるための神社が創られることとなり、信長ゆかりのこの地にようやく社殿が建ったのです。
見所は、拝殿に掲げられた肖像画の数々。戦国の世で信長が苦楽をともにした18人の功臣が描かれています。また、日本の伝統建築に基づく本殿や拝殿の簡素な様式美、狛犬(こまいぬ)の台座や手水舎の側面に彫られた織田家の家紋「織田木瓜(おだもっこう)」にもご注目ください。

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