祇園精舎の美しき花街
「祇園・八坂神社」エリアの観光音声ガイド
祇園・八坂神社エリア紹介
祇園、八坂神社は、嵐山や金閣寺、平安神宮と並ぶ、京都観光には欠かせない観光スポットです。
「祇園」という地名は、明治以前の八坂神社に由来します。
八坂神社はかつて、仏教の聖地である「祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)」の守護神(しゅごしん)をお祀りしていたため、「祇園社(ぎおんしゃ)」と呼ばれていました。
現在の祇園は、当時の「祇園社」の門前町であったことからその名がつきました。
ここは「花街(はなまち)」として知られ、四条通の南側は昔ながらの景観が保存されており、ドラマなどで見かける祇園白川(ぎおんしらかわ)や、祇園発祥の地である祇園新橋をはじめ、花見小路には紅殼格子(べんがらごうし)が美しい2階建ての町家が軒を連ねています。
一方、四条通の北側は、飲食店をはじめ、ネオンが輝くバーやスナックが集まる賑やかな歓楽街です。
周辺は、お土産探しに便利な河原町の繁華街や、桜の名所の円山公園、清水寺も徒歩圏内。年間を通して世界中から観光客が訪れています。
A 八坂神社 西楼門
B 八坂神社(祇園さん)
C 円山公園
D 知恩院
E 美御前社
F 祇園白川・巽橋
G 花見小路
H 京都四條南座
I 祇園商店街
J 漢字ミュージアム
K 祇園新橋
L 祇園祭
M ぶぶ漬け
A
八坂神社 西楼門
やさかじんじゃ・にしろうもん
四条通(しじょうどおり)の突き当たり、石段の先に堂々と構える鮮やかな朱色の門が、八坂神社の西楼門です。京都で「石段下」「祇園石段下」と言えば、このT字路(てぃーじろ)をさします。
西楼門の両脇に鎮座する2体の木像は、「随身(ずいじん)」と呼ばれる平安時代の貴族の舎人(とねり)、すなわち護衛です。老人の顔に刻まれた皺や表情など、細かな造りにご注目ください。
この西楼門をくぐり中へ入ると、くねくねと小道を曲がりながら進んだ先にようやく本殿が現れ、しかも正面ではなく別の方角に向かって建っていることに気づかれることでしょう。一般的に、神社の正門は南にあります。
本殿は南向きに建てられることが多く、そこへ一直線につながるよう参道、鳥居が設けられるためです。
八坂神社もまた、本殿は南向き。そこへまっすぐのびる参道の入口には重厚な石の鳥居、続いて南楼門があるのです。
西から入り南へ抜ける観光客が多いですが、少しまわり道して表玄関からお参りすることをおすすめします。
B
八坂神社(祇園さん)
やさかじんじゃ(ぎおんさん)
「八坂さん」「祇園さん」の愛称で親しまれる祇園のシンボル、八坂神社は、毎年7月に行われる日本三大祭のひとつ、「祇園祭」でも知られています。
現在の御祭神は、出雲の地でヤマタノオロチを退治した「スサノヲノミコト」、そのヤマタノオロチの生贄になりかけ、後に「スサノヲノミコト」の妻となる「クシイナダヒメノミコト」、そして、ふたりの8人の子供たち、「ヤハシラノミコガミ」です。
境内には他にも縁結びや商売繁昌、美容など多くの神さまが祀られ、中でも珍しいのは刃物の神。「アメノマヒトツノカミ」という、目がひとつしかない製鉄と鍛冶の神さまで、「苦難を断ち切り、未来を切り拓く」ご利益があるといわれています。
かつて平安の都は、東西南北を守護する聖獣に守られた地でした。
八坂神社が位置するこの東山の守護神は、「青龍」。伝説によると、本殿の床下には青龍が棲む池があり、この「龍穴」から湧き出た大地の「気」と水で清められた「青龍石(せいりゅうせき)」のほか、ここでしか手に入らない「青龍」の御朱印も用意されています。
C
円山公園
まるやまこうえん
八坂神社や知恩院を観光する際は、ぜひ円山公園まで足を伸ばしてみてください。1886年(明治19年)にできた京都市初の都市公園で、回遊式の日本庭園が非常に美しい国の名勝です。
また、京都を代表する桜の名所でもあり、公園のなかほどで堂々と枝葉を伸ばす枝垂桜は、その品種を「一重白彼岸枝垂桜(ひとえしろひがんしだれざくら)」と言います。通称「祇園の夜桜」と呼ばれるこの桜。宵闇(よいやみ)に浮かぶ姿はもちろん、昼間も圧巻の見応えです。
円山公園から清水寺方面へ抜ける全長約250メートルの石畳の街道は、「ねねの道」と呼ばれ、豊臣秀吉の正室 ねね がこの地で余生を送ったことからこの名がつけられました。この辺りには人力車がよく走っており、地元の人間しか歩かない路地裏から有名な観光スポットまで、陽気な車夫(しゃふ)の案内で京巡りを満喫できます。
D
知恩院
ちおんいん
知恩院(ちおんいん)は、八坂神社近くにある浄土宗総本山で、開祖・法然(ほうねん)により1175年(承安(じょうあん)5年)に、この地で始めた布教活動が起源です。法然の教えは、「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」の念仏を唱えれば、いかなる人間もすべて極楽に行けるという、衆生救済(しゅじょうきゅうさい)の思想で、武士や、相次ぐ戦乱による社会不安で困窮に苦しむ庶民に、幅広い信仰を集めました。
今では地元市民や信徒からは「ちおいんさん」という、親しみを込めた愛称で呼ばれています。
浄土宗の信徒でもあった徳川家康から三世代にかけて寺域の拡大・造営が行われ、現在の規模に至りました。
三門や法然上人像を安置する御影堂(みえいどう)は幅45メートルと巨大かつ豪華な造りで国宝に指定されています。
また境内上部には法然上人の遺骨が眠る廟(びょう)があります。伽藍(がらん)に感嘆する参拝者もここの静寂な空間では、静かに手を合わせる姿が見受けられます。
ところで知恩院には、七不思議の言い伝えがあります。
歩くと鶯の鳴き声のような音が出る廊下、大方丈入口に置かれた大杓子などで、ぜひ自分の目でご確認ください。
E
美御前社
うつくしごぜんしゃ
八坂神社の本殿東側に位置する美御前社(うつくしごぜんしゃ)は、女性ならば誰しも1度は訪れたい美のパワースポット。
ここに祀られているのは、宗像三女神(むなかたさんじょしん)。
福岡県の宗像大社(むなかたたいしゃ)を総本社とする「道」の神さまで、交通安全にご利益があります。
しかし、この小さな神社が女性に人気なわけは、3人の女神の中に、とりわけ美人と名高い「イチキシマヒメノミコト」が存在するため。
七福神の「弁財天(べんざいてん)」や、美女の代名詞である「吉祥天(きっしょうてん)」と同じ神とみなされており、財福、芸能、美貌の神として崇められています。
このため、祇園の舞妓さんや芸妓さんもお参りに訪れるほど信仰が篤い神社です。
社殿の前に湧き出る水は「美容水」と呼ばれ、飲むことはできませんが、2、3滴肌につけることで心身ともに清く美しくなれるといわれており、女性の参拝者が後を絶ちません。
美容のお守りや絵馬はもちろん、お土産用に油とり紙も用意されています。
F
祇園白川・巽橋
ぎおんしらかわ・たつみばし
細く浅い白川にかかる巽橋(たつみばし)は、少し歩けば渡りきってしまう小さな石橋です。伝統的な京の町家を背景に、春は桜、夏の青葉、秋の紅葉(もみじ)はもちろん、冬の枯枝ですら絵になる、非常に風光明媚な祇園の名所。京都を舞台にしたテレビドラマにもよく使われるため、見覚えのある方も多いのではないでしょうか。
この橋で毎年6月に催される伝統行事「放生会(ほうじょうえ)」は、祇園の初夏の風物詩。殺生(せっしょう)を戒める仏教の教えをもとに、日々の食卓にのぼる生き物への感謝をこめ、捕獲した2,000匹の稚魚が舞妓や芸妓の手によって川にかえされます。
橋のすぐ側には、祇園白川のランドマーク的な存在である辰巳大明神(たつみだいみょうじん)。祠のような小さな神社で、創建や由緒は不明ですが、一説によるとその昔、この辺りでタヌキがヒトを化かして川の中を渡らせていたため、困った人々がタヌキを祀る祠を建てたところいたずらが収まった、という言い伝えがあります。現代では祇園という土地柄から、商売繁盛や芸事(げいごと)の神さまとして、地元の方に愛されています。
G
花見小路
はなみこうじ
四条通を挟んで南北にのびる花見小路(はなみこうじどおり)は、祇園のメインストリート。北側と南側で雰囲気は大きく異なり、南側は石畳に町家が軒を連ねる花街(はなまち)らしい街並みです。歩きながら、建物の二階部分を見上げてみてください。横長の窓に幾つも縦の格子が入っていることがわかります。虫かごのように見えるため「虫籠窓(むしこまど)」と呼ばれる町家の特徴のひとつです。他にも、外壁(がいへき)の下の部分を丸く覆ったり、斜めに立てかけたような「犬矢来(いぬやらい)」という壁を保護する囲み、鋭利な金属や竹を立てた泥棒よけの「忍び返し」など、細かな伝統建築にもご注目ください。
また、四条通と花見小路の角には、江戸時代から続く祇園を代表する老舗のお茶屋「一力亭」があります。芸妓さんを呼んで食事やお酒を愉しむ花街のお茶屋。いわゆる「一見さんお断り」のため、気軽に立ち寄ることはできませんが、その紅殻塗り(べんがらぬり)の朱色の壁や、丸に「一力」と書かれた暖簾は人気の撮影スポット。もちろん周辺には、誰でも利用できる町屋を利用したレストランやカフェも多く存在します。
H
京都四條南座
きょうとしじょうみなみざ
鴨川にかかる四条大橋に立つと、橋のたもとに威風堂々(いふうどうどう)とそびえる、地下1階、地上4階の五層建ての建物が目に入ります。京都四條南座は、およそ400年の歴史をもつ日本最古の劇場です。
ここで毎年12月に行われる「吉例顔見世興行(きちれいかおみせこうぎょう)」は、全国的にも知られる京の年中行事。「顔見世」とは、「歌舞伎の祭典」といわれ、一年のうち最も重要で特別な意味をもつ興行であり、南座では今も師走になると、出演者の名前を書いた「まねき」と呼ばれる看板が建物正面に上がります。この「まねき」は職人がひとつひとつ手がけた手書きの看板で、太く力強い独特の「勘亭流(かんていりゅう)」という書体がずらりと並ぶ光景に、劇場は一層華やいで見えます。
南座で上演される演目は、伝統的な歌舞伎はもちろん、落語や喜劇、最新のデジタル技術を駆使した「超歌舞伎」と呼ばれる新しい歌舞伎など、時代にあわせた多彩な公演が行われています。敷居が高いと思わず、ぜひ劇場前に出された演目内容に目を向けてみてください。当日でも席が空いていれば券が売り出されていることもあります。
I
祇園商店街
ぎおんしょうてんがい
八坂神社へまっすぐのびる四条通りを挟み、南北に広がる地域です。かつてこの辺りは、「京都四條南座(きょうとしじょうみなみざ)」で歌舞伎を鑑賞し、料亭やお茶屋で芸妓遊びを嗜む(たしなむ)格式高い花街(はなまち)として知られていました。
常連客の紹介なしには入店できない「一見さんお断り」という表現も、この京文化から生まれたものです。
現在は、和風雑貨のお店や気軽に立ち寄れる飲食店が増え、まち歩きに最適な観
光スポットとして様変わり。
一方で、格子戸の奥に細長く続く「鰻の寝床」と呼ばれる京の町家や、石畳の景観はそのままに、コンビニエンスストアやコーヒーショップといった大手企業も、ここでは京都らしい景観に馴染むよう店舗デザインを変えています。
創業100年を越す老舗も多く、その歴史や伝統を紐解きながら、京の魅力をお楽しみください。
運が良ければ夕方の街角で舞妓さんや芸妓さんの姿を見かけることもあります。
J
漢字ミュージアム
かんじみゅーじあむ
漢字、と聞いてどれほど興 味をもたれるでしょう。「漢字ミュージアム」の正式名称は、「漢検 漢字博物館・図書館」です。
名前は固いですが、一歩足を踏み入れるとそこは驚きや発見に満ちた体験型ミュージアムです。
建物は2011年に閉校した中学校の跡地に建設されています。
1階では、まず「今年の漢字®」がお出迎え。毎年12月に清水寺で発表される、あの力強い一文字の実物が展示されています。
1階から2階にあがる階段から見える圧巻の「漢字5万字タワー」では、ぜひ自分の名前の漢字を探してみてください。
2階では、寿司ネタの魚を漢字で当ててみましょう。
ここでは「見る」だけにとどまらず、タッチパネル式のクイズや、実際に手と頭を使うゲームなど、「触れる」ことで身近でありながら意外と知らない漢字の世界を「体感」できる工夫に満ちています。
場所は八坂神社の目の前の四条通(しじょうどおり)沿いで子供はもちろん、大人も夢中になれる施設です。
K
祇園新橋
ぎおんしんばし
鴨川の東側、東西に伸びる新橋通の界隈は、祇園花街 発祥の地。
石畳に建ち並ぶのは、江戸時代から明治初期にかけた伝統的な京の町家。老舗の料亭やお茶屋が軒を連ねた、情緒あふれる花街らしい町並みです。
一帯は「重要伝統的建造物群保存地区」に指定されているため、飲食店も景観を損ねる派手な看板や店構えのものはありません。
巽橋の西には、「いのち短し、恋せよ乙女」の歌詞で知られる「ゴンドラの唱」の作詞を手がけた吉井勇の歌碑、「かにかくに歌碑」が建てられています。
「かにかくに」とは「あれこれと」という意味。吉井勇の古稀を祝うため、谷崎潤一郎、志賀直哉ら友人数人が昭和30年に送ったもので、かつて夏目漱石も訪れた有名なお茶屋「大友」の跡地に建立されました。
風光明媚な祇園の風景に、ここを愛した著名な文化人がいたことにも思いを馳せながら、散策をお楽しみください。
L
祇園祭
ぎおんまつり
毎年7月1日から31日まで、1ヶ月に渡り行われる京都の夏の風物詩。大阪の天神祭、東京の神田祭と並ぶ日本三大祭のひとつです。祇園祭のはじまりは869年、都に広がる疫病の終息を願って執り行われた「祇園御霊会(ごりょうえ)」と呼ばれる儀式を起源とし、祇園祭の代名詞である豪華絢爛な山鉾(やまほこ)は、厄災を鎮めるためのお囃子や踊りが、次第に規模を大きくしていったものと考えられています。
2階建ての家の高さほどある巨大な鉾は、「縄がらみ」と呼ばれる伝統技法で作られ、釘が1本も使われていません。各鉾には「月鉾(つきほこ)」「長刀鉾(なぎなたほこ)」などそれぞれ名前がつき、ご神体も由来も異なります。また、宵山期間中は、新町通や室町通で旧家が一般客に座敷を開放。屏風祭と呼ばれ、各家が所蔵する貴重な美術品や調度品を気軽に覗けるまたとない機会です。
これら山鉾(やまほこ)や屏風祭は、いわば庶民の行事。一方で八坂神社が主体となる神事には、鉾ではなく神輿が巡行し、石見神楽(いわみかぐら)や花傘巡行(はながさじゅんこう)など、1ヶ月を通し様々な祭礼が催されます。
このように、宵山を逃しても7月の京都はお祭りムード一色です。
M
ぶぶ漬け
ぶぶづけ
あんかけうどんを「たぬき」と呼んだり、油揚げと卵のきつね丼を「衣笠丼(きぬがさどん)」と呼ぶなど、京都には独自の食文化があります。
なかでも面白おかしく語られるのが、「ぶぶ漬け」。
ぶぶ漬けとは、京都弁でお茶漬けのことで「ぶぶ」はお茶を意味し、「おぶ」とも言います。
京都人は長居する客に対し「ぶぶ漬けでもどうどす?」、つまり「お茶漬けでもいかがですか」とうかがい、遠まわしに帰ってくれと伝える、という風説があります。
上方落語の題材にもなったこの小話は、主人ははっきり帰れと言わず、客もまた意味を察して退散するという、「本音を隠す」京文化を表し、「これが作法だ」とまことしやかに囁かれていますが、実際にそんな言葉をかけられることはありません。
「すぐき」や賀茂(かも)なす、壬生菜(みぶな)といった京の伝統野菜の漬物を用いた手軽に食べられる食事として、江戸時代から庶民の食として親しまれてきたぶぶ漬け。
京都にはお茶漬け専門店がいくつもあるので、お店で堂々と味わってください。