江戸情緒を味わう。世界中から注目される
「浅草・両国」エリアの観光音声ガイド
浅草・両国エリア紹介
東京を代表する観光名所である浅草・両国エリア。昔ながらの街並みや風情が残り、江戸情緒が味わえる浅草エリアには、国内外からの観光客で連日賑わいをみせています。ランドマーク的な雷門や浅草寺をはじめ食べ歩きも楽しめる仲見世通りなど「江戸情緒を味わえるスポット」から、2012年に誕生した新名所スカイツリー・ソラマチやまるごとにっぽんなどの「新しい流行スポット」まで、東京の昔と今を感じられる大人気の観光地です。また、両国は国技館に代表される相撲の街として有名で、江戸東京博物館や旧安田庭園など江戸の伝統文化を伝えるスポットが多数集まるエリア。2016年に新名所「両国 江戸NOREN」が誕生しますます注目されています。
A 浅草寺
B 風神雷神門・仲見世通り
C 浅草神社
D 浅草花やしき
E かっぱ橋道具街
F 隅田公園
G 東京スカイツリー®
H 東京ソラマチ
I 隅田川
J 国技館
K 旧安田庭園
L 浅草演芸ホール
M 浅草東洋館
N 常盤堂 雷おこし本舗
O 箱長
P 両国花火資料館
Q ギャラリーエフ
R 郵政博物館
A
浅草寺
せんそうじ
東京・下町を代表する観光地が浅草寺(せんそうじ)です。歴史は古く、西暦628年に現在の隅田川で漁師が偶然発見した仏像を「聖観世音菩薩(せいかんぜおんぼさつ)」と見抜いた地元の教養人が、自宅を寺に改修して安置したことに始まります。江戸時代以降、町の発展に伴って賑わい、下町の庶民信仰と生活文化を支える存在になりました。この間、何度も焼失・再建を繰り返し、浅草寺の顔ともいえる雷門が再建された1960年以降、現在の形が定着しました。参拝や観光などで国内外から年間3千万人が訪れています。雷門をくぐり仲見世商店街(なかみせしょうてんがい)を過ぎると巨大な宝蔵門(ほうぞうもん)があります。仁王像が安置されているので古くは「仁王門(におうもん)」の呼び名でしたが、戦後再建したとき、仏事の道具や宝物の収蔵室を設けたことから「宝蔵門」と呼ばれています。そして門の裏側に架かっているのが高さ4.5メートルの大わらじ、これを履くほどの巨大なものに浅草寺は守られているそうです。本堂では手や口を清める作法を守ってご参拝。そのあとは、運試しのおみくじです。くじ運が強くても、いつも吉が出るとは限りません。もし凶を引いても恐れずに辛抱強く誠実に過ごせば吉に転じるもの、観音様のご加護を信じて指定の場所に結び付けて縁つなぎをして帰れば大丈夫です。そして見上げるとそびえたつのが、高さは地上およそ53メートルの五重塔、優美な建築に誰もがシャッターを押しています。
B
風神雷神門・仲見世通り
ふうじんらいじんもん・なかみせどおり
浅草の顔ともいうべき浅草寺の雷門は、本堂につながる山門で表参道の仲見世の入り口に位置しています。正式名称は「風雷神門」で、年間3千万人と言われる参拝者や観光客のほとんどが、バックに写真を撮る人気スポットです。
歴史は古く、平安時代に駒形に創建された後、鎌倉時代にこの地に移りましたが焼失と再建を繰り返しました。そして1865年(慶応元年)の大火で焼け落ちた後は、95年の空白が続き、1960年、ようやく復活しました。吊るされている提灯は直径3.3メートル、高さ3.9メートル、そして重さはなんと0.7トンです。
京都の丹波産の竹との福井県のコウゾで漉(す)いた和紙を、京都の職人が張り合わせて作り、必要に応じて張り替えます。この大提灯を含め門の再建は現パナソニックの創始者・松下幸之助の寄進で実現しました。幸之助が、持病の関節痛の全快を願って祈祷したところ、見事回復したことに対する謝意を込めたものだそうです。
雷門をくぐると長さ250メートルの仲見世商店街には、土産物屋や江戸老舗の和菓子店など90店が並び、品定めの観光客らで連日にぎわっています。
C
浅草神社
あさくさじんじゃ
「三社祭(さんじゃまつり)」で有名な浅草神社は、江戸時代の社殿をもつ朱塗りの神社です。浅草寺本堂の東側に位置し、国の重要文化財でもあります。江戸時代までは浅草寺と一体に保たれていましたが、明治維新の神仏分離令で独立し「浅草神社」と改称しました。浅草寺のはじまりに深く関わった三人を神様としてお祀りしたことから、「三社さま」とも呼ばれています。3代将軍 徳川家光が再建した社殿は、日光東照宮と同じ権現造り(ごんげんづくり)と呼ばれる建築形式で、本殿のほか、拝礼をするための拝殿、神様へお供え物をする幣殿(へいでん)の3つの殿からなりたっています。また拝殿と幣殿は渡り廊下でつながれていることも特徴です。境内にはそのほかにも、舞や神楽(かぐら)を奉納する神楽殿、神輿(みこし)を収納する神輿庫(しんよこ)があります。
D
浅草花やしき
あさくさはなやしき
浅草花やしきは、1853年 江戸時代に開園した日本最古の遊園地です。はじめは牡丹や菊細工をメインとした花園として開園し、明治初期になると遊技施設が置かれて一躍人気スポットになりました。そして1949年に遊園地として再建され、今の「浅草花やしき」が生まれました。園内には、1953年に誕生した日本に現存する最も古いコースター「ローラーコースター」やお化け屋敷、その他にも子供と一緒に楽しめるアトラクションなども多くあり、お祭り気分を味わえる縁日コーナーもあります。また、園内にあるスカイプラザからは東京スカイツリーや浅草寺を見る事ができ、フォトスポットとしても有名です。
E
かっぱ橋道具街
かっぱばしどうぐがい
かっぱ橋道具街は、大正元年頃に数件の道具商が出店しだしたことから始まり、現在では約170店舗が軒を連ねる日本一の道具街です。浅草と上野のちょうど中間に位置し、全長約800mもある大型道具街には、料理道具・食器・厨房設備・製菓用品・陶器・漆器・包装用品・ショーケース・家具・食品サンプル・白衣・業務用食材など多種多様な道具が並んでいます。プロの調理人も通う道具街として有名ですが、最近では一般家庭のキッチン用品を扱う店も増え、国内外の観光客からも人気を集めています。2003年に90周年を記念して建立された「かっぱ河太郎」がシンボルです。
F
隅田公園
すみだこうえん
隅田公園は、隅田川沿いにある遊歩道をメインとした約8万平方メートルもの緑あふれる広い公園です。春は隅田川両岸に1キロメートルにわたる約700本もの桜並木が咲きほこり、毎年たくさんの人がお花見に訪れます。この桜並木は八代将軍 徳川吉宗のはからいで植えられたとされ「日本さくら名所100選」にも選ばれています。夏は隅田川花火大会の観覧スポットとしてもとても有名です。その他、梅まつり、流鏑馬(やぶさめ)、アジサイロード、灯籠流しなど毎年さまざまなイベントが行われています。
G
東京スカイツリー®
とうきょうすかいつりー
東京スカイツリーは世界一の自立式電波塔として2012年5月に開業しました。全高634メートルもの高さを誇ります。634という数字は、日本人にとって馴染み深い「むさし」を表しており、スカイツリーの高さを広く覚えてもらうためこの数字になりました。展望台は、地上350メートルの天望デッキ、さらに地上450メートルの天望回廊の2種類で、東京・かつての武蔵国をのぞむことができ、国内外問わず多くの観光客が訪れる大人気観光スポットです。展望台としての観光施設だけではなく、商業施設の東京ソラマチやオフィスビルも併設していることから、タワーを含めた大型複合施設は「東京スカイツリータウン」と呼ばれています。
H
東京ソラマチ
とうきょうそらまち
東京ソラマチは、東京スカイツリーに併設する商業施設です。コンセプトは『新・下町流』で、バラエティに富んだショップ・レストラン、また水族館やプラネタリウムといった300以上の店舗が並んでいます。5Fには「すみだ水族館」があり、世界自然遺産である小笠原諸島の海を再現した大水槽をみることができます。また屋内プール型水槽には48羽のペンギンやオットセイがいます。7Fには「コニカミノルタプラネタリウム “天空”」があり、ここでは星空だけでなく臨場感あふれる光と音の演出や、アロマを楽しむことができます。
I
隅田川
すみだがわ
隅田川は、全長約23.5km、流域人口は約300万人と世界でも類をみない大都心を貫き東京湾につながる河川です。上流は荒川で、赤羽の近くにある岩淵水門という分岐点から東京湾までが隅田川と呼ばれる川になっています。隅田川の両岸には、「隅田川テラス」という遊歩道や緑化地があり、多くの人が憩いの場として利用しています。春には両岸あわせて1,000本近い桜が咲き多くの人がお花見に訪れます。また、夏にはテレビ中継もされる大規模な花火大会「隅田川花火大会」が行われるなど数々のイベントが開催されます。浅草から浜離宮・日の出桟橋・お台場海浜公園・豊洲に向かう水上バス「東京クルーズ」も大人気です。水上バスの乗り場は他にパレットタウン・東京ビッグサイトもありますので、水上バスを使っての都内観光もおすすめです。
J
国技館
こくぎかん
国技館は、日本の国技である相撲の競技場で、両国の顔ともいえる施設です。『両国国技館』と呼ばれることが多くありますが、正式名称は「国技館」です。本場所の東京開催は、毎年1月・5月・9月の年3回。この東京以外では、名古屋・大阪・福岡で開催されます。国技館は中央に土俵があり、観客は四方から相撲観戦ができる競技場となっています。館内総合案内所では、ラジオの貸し出しサービスを行っているので、ラジオを聞きながら競技観戦を楽しむことができます。また、施設内には「相撲博物館」があり、相撲に関する様々な資料、歴史を見ることができます。国技館といえば『相撲』のイメージが先行しがちですが、プロレス、ボクシングなど格闘技の試合に使われたことがあり、2020年東京オリンピックでボクシング競技の開催施設に選ばれました。
K
旧安田庭園
きゅうやすだていえん
旧安田庭園は、元禄年間に造られたといわれ、かつては隅田川の水を引き入れた潮入り池泉回遊式庭園でした。
現在では人工的に潮入りを再現しています。
庭園の周辺には国技館、刀剣博物館、すみだ北斎美術館などがあります。
庭園内には、石橋や駒止石などがあり、庭園ならではの独特な景色や雰囲気を味わうことが出来ます。
静かなところでのんびり過ごしたい方に、おすすめのスポットです。
L
浅草演芸ホール
あさくさえんげいほーる
「浅草演芸ホール」は、東京都内で4軒しかない「落語定席」のひとつ。1年365日「落語」をお楽しみいただけます。「浅草演芸ホール」のある通りは、「浅草公園六区」と呼ばれ、かつては「映画館」やさまざまな劇場が立ち並ぶ一大娯楽街でした。
「浅草演芸ホール」のある場所も、戦前は「三友館」という「映画館」でした。
戦後「浅草フランス座」というストリップ劇場を立ち上げたのが発端となり、当時幕間のコントで人気を博したのが後に「フーテンの寅さん役」で一世を風靡した「渥美清さん」でした。
その後「東洋劇場」という「軽演劇」を上演する芝居小屋だった時には、「東八郎さん」や「萩本欽一さん」が活躍。
その後、1964年8月に「浅草演芸ホール」という「落語定席」に生まれ変わり、今日に至ります。
「落語」はもちろん、「漫才」や「漫談」「マジック」「紙切り」「曲芸」などバラエティに富んだ内容になっています。
「落語定席」は、「寄席」という呼び方もします。「人寄せ場」の略称とも言われており、原則的に「全席自由席」ですので、気が向いた時にぶらりと立ち寄れるのが「寄席」の良さです。お好きな時間で心行くまで演芸を楽しんでみませんか。
M
浅草東洋館
あさくさとうようかん
「東洋館」は『お笑いの発信基地』として親しまれている演芸場です。
前身である「浅草フランス座」の主な出身者には、ビートたけし・萩本欽一・渥美清・東八郎など大物芸人が名を連ねます。
現在では、人気の漫才コンビなどが多数出演し、東京演芸の歴史を感じながら気軽にお笑いを堪能できる貴重な場所として、漫才・漫談・コント・マジック・紙切り・曲芸・ものまね・腹話術など、落語以外の演目を中心とした寄席を年中無休で開催しています。
出演者も若手からベテランまで幅広く、老若男女世代を問わず楽しむことができる内容で連日賑わっています。
公演時間は12時から16時30分ですが、14時以降は入場料の割引もあるので浅草の観光と合わせてふらっと立ち寄るのもおすすめです。
N
常盤堂 雷おこし本舗
ときわどうかみなりおこしほんぽ
常盤堂雷おこし本舗は浅草の歴史とともに歩んできました。浅草で雷おこしが売られたのは、今から約220年前の江戸時代後半からと言われています。
雷おこしの名称は、皆様ご存じの雷門、正式には風雷神門に由来します。
また、浅草寺で四万六千日(しまんろくせんにち)の縁日とほおずき市が開催される7月9日、10日は観音様ご開帳の日でもあり、「ほおずきと雷おこしは雷除けのおまじない」というキャッチフレーズで売られました。
その頃から観音様の参拝にはなくてはならいものとなり「家をおこし、名をおこす」という縁起を喜ばれ多くの皆様に親しまれました。明治の中頃には、現在の雷門脇に店舗を構え、東京を代表する銘菓として全国に知られております。
雷おこしはお米、小麦、砂糖を主な原料とし、お子様からお年寄りまで万人受けするよう、柔らかく仕上げております。また、時代の変化・人々の嗜好の変化に合わせ、現在では洋風な味付けをしたおこしも販売しております。
雷5656(ごろごろ)会館では「雷おこし製造体験」ができますので、興味のある方はホームページで詳細をご覧ください。
O
箱長
はこちょう
箱長は、1874年(明治7年)に桐箱専門店として浅草に店を構えました。現在は、オレンジ通りとメトロ通りに2店舗あり、たくさんの観光客で賑わっております。
箱長の木目込み細工は、桐材を彫刻刀で掘り、正絹の着物地を埋め込み立体的にする技法で、縁起物の柄である鈴や瓢箪や折鶴を、手鏡や引き出し、箪笥などに施しています。
中でも人気の柄は「鈴」で、「魔除け」や「鈴成りに幸せがくる!」と良い事が来る象徴とも言われています。
気軽に伝統工芸品に触れる事ができる体験教室では、好きな布を選んで木目込みができるので、自分だけのオリジナル作品を作ることができます。
オーダーメイドでお好きなサイズの箪笥や箱を作ることができ、日本で唯一の工芸品である箱長の品々をぜひご覧にいらしてください。
P
両国花火資料館
りょうごくはなびしりょうかん
隅田川の夏の風物詩といえば花火。
日本が世界に誇る技術の一つである打ち上げ花火の歴史は古く、1733年両国川開きの初日に花火が打ち上げられたのが、隅田川花火大会の始まりとされています。
『両国花火資料館』では、江戸時代の花火玉や打ち上げ筒を始め、日本各地で開催されたお祭りの花火のポスターや設備などを展示しています。
実寸大で花火玉の断面の模型があり、その大きさや、詰められた火薬の緻密さには目を見張るものがあります。
さて、花火大会でよく耳にする「たまやー、かぎやー」の掛け声は、何の意味かご存じでしょうか。これは、江戸の有名な花火師の屋号「玉屋」と「鍵屋」のことで、それぞれの花火を称賛する声でした。残念ながら「玉屋」は不慮の火災が原因で江戸時代になくなってしまいましたが、「鍵屋」は江戸時代からの技術を継承し現在に至っています。
小さな資料館ですが、職員がとても丁寧に花火の説明をしてくれます。また花火の造り方を説明するビデオや書籍もあり、歴史や芸術性に触れることも出来るので、その素晴らしさや奥深さに感動すること間違いありません。
花火資料館に行ってから見る打ち上げ花火は今までとちょっと違う趣があるかもしれませんね。
Q
ギャラリーエフ
江戸時代に材木問屋の屋敷の内蔵として建てられた土蔵が1997年にギャラリーとして生まれ変わったのがここ「ギャラリーエフ」です。
1868年に建てられたこの蔵は、柱も梁も太く、土壁は厚さが30センチメートルもある非常に堅牢な作りであり、関東大震災と東京大空襲の猛火をくぐり抜け、江戸の息吹を現在に伝える貴重な建築物として1998年文化庁登録有形文化財として登録されました。
東京大空襲でB29から焼夷弾を浴び、灰と化した東京の下町浅草で焼け野原の中にぽつんと残ったこの蔵は、「扉をすぐに開けたら一気に酸素が入って爆発する」と言われ、冷ますため空襲後二か月、扉を開けずそっとしておいたそうです。
江戸時代の貴重な建築物を維持しながら現在のギャラリーに改装するため、漆作家や瓦職人、左官職人など様々な分野のプロが手を貸してくれて、蔵は「ギャラリーエフ」として生き返りました。
ギャラリーでは様々なジャンルの、あらゆる国籍のアーティストたちの表現の場として、展覧会や演奏会、パフォーマンスなどに活用されています。
R
郵政博物館
ゆうせいはくぶつかん
郵政博物館は「心ヲツナグ 世界ヲツナグ」をコンセプトに、郵便や通信の歴史と文化が楽しく学べる博物館です。
郵便にまつわる歴史やテーマを6つの世界に分け国内外の郵便に関する資料約400点や33万種もの切手を展示する常設展示場、企画展示場、ちょっとした展示イベントを開催する多目的スペースがあります。
日本最初のポスト「書状集め箱」の模造や現存する自動販売機の中で日本最古の自働郵便切手葉書売下機の模造など、日本の郵便・貯金・簡易保険の歴史などを実物資料で紹介しています。
また、オリジナル体験型の機器も充実しています。
郵便配達シミュレーター「Go!Go!ポストマン」で郵便配達の疑似体験、「絵葉書クリエーター」は世界で1枚だけのオリジナル絵はがきを作成することができます。
企画展示場では年4~5回程度の資料展やイベントを開催しています。
※新型コロナウイルス対策の一環として、「Go!Go!ポストマン」「絵葉書クリエーター」は現在休止中です。