夢の世界だけではない、
昔ながらの名残の残る漁師町
「舞浜・浦安」エリアの観光音声ガイド

舞浜・浦安エリア紹介
TOURIST Guide編集部
大岡久仁

舞浜・浦安エリア紹介

まいはま・うらや
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昭和44年の地下鉄東西線の開通、浦安駅の開業を機に急激な都市化を遂げた浦安市ですが、現在は舞浜にある世界的に有名なテーマ―パークを中心に、洗練された夢の世界を楽しみに連日多くの観光客が訪れます。
一方で明治時代中頃に村として成立された浦安には、実は歴史的な一面もあります。
明治時代後期から昭和にかけて水産業を中心に、大津波や大火による大災害に立ち向かいながら、漁師町として発展してきたこの町には、昔ながらの面影の残る有形文化財に指定された建物も現存(げんそん)しており、豊かな河川とともに発展してきた名残を感じさせてくれます。
今までのイメージとは一味違った、趣深い浦安・舞浜を再発見してみましょう。


舞浜駅

A 舞浜駅

旧浦安町役場跡碑

B 旧浦安町役場跡碑

旧医院

C 旧医院

旧宇田川家住宅

D 旧宇田川家住宅

旧大塚家住宅

E 旧大塚家住宅

浦安市郷土博物館

F 浦安市郷土博物館

大蓮寺

G 大蓮寺

宝城院庚申塔

H 宝城院庚申塔

スポット紹介

舞浜駅

まいはまえき

舞浜駅
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現在は世界的に有名なテーマパークの最寄り駅として有名な舞浜駅は、1988年のJR京葉線の乗り入れと同時に開業されました。
当初計画段階では「西浦安」という名称になる予定でしたが、浦安市民による公募、そして舞浜地区の埋立を担った、テーマパーク誘致の立役者である企業との協議を経て、テーマパーク系列内最大の施設が位置する、米国フロリダ州マイアミ・ビーチにちなんで「舞浜」と名付けられました。
周辺では商業施設、宿泊施設が連なり、テーマパーク直通のリゾートラインとも接続するリゾート地としての一面を楽しむことができ、少し離れた場所では明治時代に建設されたまま現存(げんそん)している歴史ある建造物とともに、昔ながらの静かなひと時を過ごすこともできます。
また、駅構内のテーマパークのアニバーサリーやイベント毎によって変化する、バラエティに富んだ電車の発着メロディーにも注目です。

旧浦安町役場跡碑

きゅううらやすまちやくばあとひ

旧浦安町役場跡碑
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今では記念碑のみが残るこの場所にはかつて、まだ市政として成立していない「浦安村」時代である1895年(明治28年)から1974年(昭和49年)に現在の市役所庁舎ができるまで、長きにわたり活躍した旧役場庁舎がありました。
江戸時代には、この場所に年貢米を貯蔵する蔵があり、明治時代の初めには蔵を改造して小学校として利用していました。
1894年(明治27年)に周辺に新しく小学校が建設されたことを契機に、不要になった旧校舎を村役場として再利用することとなったのがこの場所での行政の始まりです。
その後、1911年(明治44年)に竣工された新庁舎は、当時としてはモダンな瓦葺平屋の和洋折衷造りで、浦安町の自慢の建物でした。
また、当時役場だけではなく漁業組合や罐詰工場、貝の加工工場も軒を連ねた川沿い一帯は浦安の行政、経済の中心として栄えました。
時代の変遷を見守ってきた境川は今でも変わらずにこの地を流れ続けています。

旧医院

きゅういいん

旧医院
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旧濱野医院(旧医院)は、1929年(昭和4年)に建設された浦安で最初の洋風建築物として、休日に一般公開されているとともに、平日には乳幼児とその保護者の交流の場所として子育て支援事業が行われています。
この医院は、1887年(明治20年)に浦安の西洋医学の医院の第一号として、濱野鼎(はまの かなえ)氏によって開業された所から始まります。
その後火災によって建物が焼失したため、現在の洋風建築が誕生し、2001年(平成13年)に建物が市に寄贈されるまでの間、明治から平成にかけてこの場所で診療が行われました。
濱野家は三代にわたり計100年以上この場所で地域医療に貢献してきたといわれています。
一階の診療所部分は洋風の建築が施され、今でも診療所としての姿が昔のままで保存されています。
薬棚には当時の薬の箱が陳列されており、タイムスリップしたかのような錯覚を覚えながら、昭和の古き良き、地元に馴染んだ医療現場を見物することができます。

旧宇田川家住宅

きゅううだがわけじゅうたく

旧宇田川家住宅
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旧宇田川家住宅(きゅううだがわけじゅうたく)は、1872年(明治2年)に建てられたもので、建築年代がはっきりとわかるものとしては市内最古の民家です。
道路に面した表部分は米屋(こめや)、油屋(あぶらや)、雑貨屋、呉服屋などが連なり、裏は住宅部分として利用される、いわゆる店舗併設の住宅である「商家(しょうか)」として使われてきました。
幕末から明治に至る江戸近郊の町家の形をよく伝えており、商家遺構の少ない関東では特に貴重な建物であることから、昭和57年に市の有形文化財として指定、1982年(昭和59年)から公開されています。
江戸時代から商家として使用されていたこの民家ですが、大正時代には更に活動の幅を広げ、浦安郵便局が開局され、昭和中頃には診療所が開かれるなど、この場所を多くの人々が訪れて賑わったことがわかります。
当時訪れた人々の活気や生活に思いを馳せながら、貴重な古民家で歴史の流れをゆっくりと味わってみるのもよいでしょう。

旧大塚家住宅

きゅうおおつかけじゅうたく

旧大塚家住宅
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歴史的な建造物が立ち並ぶ堀江(ほりえ)フラワー通りを進むと、境川沿い(さかいがわぞい)に茅葺(かやぶき)屋根の古めかしい平屋が見えてきます。この建物が旧大塚家住宅(きゅうおおつかけじゅうたく)です。
建築構造と様式の特徴などから江戸時代末期の建築と推定され、当時の浦安では比較的大きい家でした。
その特徴的な建築と当時のまま残っている貴重さゆえに、1987年(昭和62年)に市の有形文化財に指定され、さらに2002年(平成14年)には、県の有形文化財にも指定されました。
この家の大きな特徴といえるのが、屋根裏部分です。江戸川の河口に位置することから、浦安の人々は昔から度重なる水害に苦しめられてきましたが、この屋根裏部分は、そんな人々の避難場所や家財道具の保護場所として活躍してきました。
一階部分には、当時の生活を再現したオブジェや、漁師の生活を伝える道具も展示してあるので、昔ながらの浦安の生活を知るにはもってこいのスポットとなっています。

浦安市郷土博物館

うらやすしきょうどしりょうかん

浦安市郷土博物館
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浦安市郷土博物館は、昭和27年頃に漁師町として栄えた浦安の町並みや自然を再現し、歴史や文化を体験しながら学べる社会教育施設として、2001年に開館されました。
昭和の町に迷い込んだかのような非現実感とともにベーゴマ・けん玉・輪投げなどの昔遊びの体験や、再現された河面に浮かぶ木造屋台船に実際に乗って、当時の生活の体験をすることができます。
「生きている博物館」というコンセプトの通り、屋内では水槽、ジオラマの展示から、郷土料理を楽しめるレストランも併設されており、いつ来ても新しい発見ができるよう期間限定の企画展示も行われています。
また、山本周五郎氏の小説「青べか物語(あおべかものがたり)」の舞台になったこともあり、登場する天ぷら屋も再現されて、実際に中に入って休憩スペースとして利用することもできます。
子供だけでなく大人でも、昔ながらの生活や文化を楽しみながらリーズナブルに学ぶことのできるおすすめスポットです。

大蓮寺

だいれんじ

大蓮寺
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大蓮寺(だいれんじ)は、1544年に小田原から行脚(あんぎゃ)してきた覚誉存栄上人(かくよそんえしょうにん)によって建てられた浄土宗のお寺です。
当時の浦安は江戸もまだ開けていない頃で、現在の江戸川河口の小さな漁師町でした。
その町のはずれの境川(さかいがわ)のお堂に、行基大僧正(ぎょうきだいそうじょう)という名僧(めいそう)によってつくられた勢至菩薩像(せいしぼさつぞう)が奉られていて、そのあまりの見事さに覚誉上人(かくよしょうにん)が惹かれ、この勢至菩薩像を守るために小田原にあった自分のお寺と同じ名前の大蓮寺を創建しました。。
現在も開山堂に奉られている勢至菩薩像がその尊像で、火災に遭いながらもその姿をとどめており、安産のご祈願のお参りに多くの方が訪れます。
また、浦安市にある寺院のなかで唯一鐘楼堂(しょうろうどう)があることから、大晦日に除夜の鐘を撞く人たちで賑わうことでも有名ですが、現在のこの鐘は、幼少期を佐倉市(さくらし)で過ごした鋳金家(ちゅうきんか)で人間国宝の香取正彦(かとり まさひこ)氏によって造られ、透明感と重厚感の中に深い余韻を残す音色となっています。
この鐘は、現在も時の鐘として、毎日午前11時に11回撞かれ日々の市民生活の中で時を告げています。

宝城院庚申塔

ほうじょういんこうしんとう

宝城院庚申塔
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この塔は、1736年、宝城院住職の賢宥法印と庚申信仰の人々によって建立されました。
庚申信仰とは、道教の三尸説をもとに密教や仏教など様々な宗教が複合された民間信仰です。
ところで三尸説とは、60日ごとにめぐってくる干支の庚申(こうしん)にあたる日の夜に、人の体内にいる三匹の虫が抜け出し、天の神にその人がしてきた罪を告げ、これを聞いた天の神がその分だけ寿命を縮めてしまうという信仰で、信者はこれを避けるため、夜を寝ずに会食し、話しながら過ごしました。
これを庚申講と呼び、庚申講の記念、また病魔・病鬼を払い除くために建てられたのが庚申塔とされており、全国各地に存在しています。
宝城院の庚申塔の表面中央には、邪鬼を踏みつけておさえている青面金剛菩薩、その下に庚申の干支にちなんだ「見ざる、聞かざる、言わざる」の三猿、青面金剛の左右の二人の童子と雌雄の鶏、さらに下段には四体の夜叉が見事に彫刻されており、これほど破損の少ない庚申塔は貴重なものであるとされ、1969年に千葉県有形文化財に指定されました。

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