美しい自然と歴史的名所のあふれる街
「嵐山・嵯峨野」エリアの観光音声ガイド
嵐山・嵯峨野エリア紹介
嵐山・嵯峨野は、桜や新緑に紅葉など四季折々の自然を楽しむことができ、たくさんの神社仏閣や庭園など見どころが豊富な京都屈指の観光名所です。美しい風景は、平安時代には天皇や大宮人(おおみやびと)に好まれ、遊猟(ゆうりょう)などの行楽地としても人気がありました。世界遺産の天龍寺(てんりゅうじ)を始め、野宮神社(ののみやじんじゃ)や落柿舎(らくししゃ)、二尊院(にそんいん)などたくさんのお寺や神社があるので、歴史的な名所を巡りながらの散策に最適です。また、自然を楽しみながらスリルを満喫できる保津川の舟下りや、雄大な渓谷美を楽しめるトロッコ列車など、アクティブな観光を楽しむことができるスポットです。
A 嵯峨野トロッコ列車
B 保津川下り
C 天龍寺
D 竹林の小径
E 落柿舎
F 二尊院
G 渡月橋
H 妙徳山 華厳寺(鈴虫寺)
A
嵯峨野トロッコ列車
さがのとろっこれっしゃ
嵐山・嵯峨野と京都亀岡をつなげるトロッコ列車は、廃線になったJR山陰線を利用して、平成2年 嵯峨野観光鉄道によって発足しました。
『保津川(ほづがわ)沿いの美しい風景を楽しんでほしい』という思いで全員が一丸となり、錆びたレールや腐った枕木を入れ替え、崩れた路肩を補強し、桜や楓の苗を植樹しました。
線路からの急な傾斜の下を流れる保津川には、奇岩・巨岩など目を引く岩が多くあり、車窓からの、岩に当たって白いしぶきを上げる川の眺めは迫力があります。
また保津川の両岸に迫る山肌には、春はヤマザクラやヤマツツジ、秋は燃えるような紅葉(こうよう)がみられ、車窓からその眺めを大パノラマで楽しむことができます。お天気が良い日は、窓ガラスのないオープン車両の5号車「リッチ号」で開放感を味わいながら乗車するのもお勧めです。
B
保津川下り
ほづがわくだり
嵐山を流れる大堰川(おおいがわ)の上流は保津川(ほづがわ)と呼ばれ、1600年代に京都の豪商によって、物資輸送の水路が整備されました。保津川には多くの岩があるため、巨岩には縄をかけて曳き(ひき)、水中の岩は砕き水路を確保しました。こうして保津川は京都や大阪への物資輸送に欠かすことのできない重要な役割を果たしてきましたが、保津峡(ほづきょう)周辺の景観があまりにも美しいため、明治時代中頃からは観光目的での「保津川下り」が始まりました。
ミシュラン・グリーンガイド1つ星を獲得した保津川下りは、亀岡から嵐山まで約16キロメートルもあり、日本で最も長い川下りです。川の流れは天気や水量によって違い、水量の多い時は舟の速度が速くスリルのある90分間の船旅となりますが、水量が少ないときは速度がゆるやかになり2時間ほどかかります。
春の桜も有名ですが、夏にはカジカの鳴き声、そして秋は色鮮やかな紅葉、寒い冬には温かいお座敷暖房船と、四季折々の美しい風情を楽しむことができます。
C
天龍寺
てんりゅうじ
「天龍寺」は臨済宗天龍寺派大本山の寺院です。1339年(暦応2年) 後醍醐天皇(ごだいごてんのう)の菩提(ぼだい)を弔うため、足利尊氏(あしかがたかうじ)によって創建されました。造営に際して足利尊氏や光厳上皇(こうごんじょうこう)が荘園を寄進しましたが,それだけでは足りなかったため、モンゴル帝国より属国になるように要求された「元寇(げんこう)」によって途絶えてしまった元との貿易を再開して、その利益を造園費用に充てることにしました。これが天龍寺船(てんりゅうじぶね)の始まりといわれています。これによって天龍寺は長い間五山第一位として栄えましたが、その後、たびたびの火災や戦火に遭い、再建を繰り返してきました。境内にある曹源池庭園(そうげんちていえん)は創建時の面影をとどめた情緒ある庭園で、国の史跡・特別名勝に指定されています。歴史的・文化的価値を評価され、1994年(平成6年)に「古都京都の文化財」として世界遺産に登録されました。
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竹林の小径
ちくりんのこみち
野宮神社(ののみやじんじゃ)から大河内山荘までをつなぐ「竹林の小径(ちくりんのこみち)」は嵐山の人気の観光名所です。
嵯峨野一帯には竹林が多く、静かで美しいスポットとして知られており、平安時代より貴族の別邸や庵(いおり)が建てられてきました。
細い柴(しば)で作られた背の低い小柴垣(こしばがき)の奥に広がる青々とした竹林は、空を覆うほど無数にまっすぐに高く伸びていて、晴れた日に竹林からもれる日差しを浴びながら散策するのはとても気持ちが良いものです。1996年(平成8年)には環境省の「残したい日本の音風景100選」に選ばれました。毎年初冬に行われる「嵐山花灯路(あらしやまはなとうろ)」では、散策路の竹林がライトアップされ美しく幻想的な演出を楽しむことができます。テレビドラマや映画、CMのロケ地にも度々利用されていることでも有名です。
E
落柿舎
らくししゃ
落柿舎(らくししゃ)は、松尾芭蕉の門人であった俳人「向井去来(むかいきょらい)」が1685年頃に建てた別邸で、庭にあった40本の柿の木の実が一夜にして落ちてしまったことから、この名前がついたと言われています。
また、芭蕉が門人の中でも特に信頼が厚かった去来(きょらい)の別邸に3度も訪れて滞在し、その記録を「嵯峨日記(さがにっき)」として遺したことでも知られています。落柿舎には去来や芭蕉のほかに、高浜虚子(たかはまきょし)などの句碑や碑(いしぶみ)が13あるので、碑巡りもおすすめです。落柿舎の藁ぶき屋根の閑静なたたずまいは、往時の風情を今に伝えています。憧憬(しょうけい)の中に身を置き、去来になった気分で一句ひねって投句して入選すると、季刊誌である「落柿舎」に掲載され、掲載誌を自宅に送ってもらえます。
F
二尊院
にそんいん
二尊院は、平安時代 834年から847年に慈覚大師円仁(じかくだいし えんにん)によって開基されました。正式な名前は小倉山二尊教院華台寺(おぐらやま にそんきょういん けだいじ)です。紅葉の名所としても名高く、小倉百人一首の名前になった小倉山(おぐらやま)のふもとにあり、本堂の後ろに小倉山を控えた美しい場所に建てられています。
本尊の二尊である木造釈迦如来立像(もくぞうしゃかにょらいりゅうぞう)・阿弥陀如来立像(あみだにょらいりゅうぞう)をはじめとして、絹本著色逍遥院実隆像(けんぽんちゃくしょくしょうよういんさねたかぞう)、称名院公条像(しょうみょういんきんえだぞう)など多くの国指定重要文化財があります。
二尊院の立派な総門をくぐると、参道がまっすぐ200メートル続き、その両側から迫ってくるようなたくさんのモミジが植えられており、「紅葉の馬場(ばば)」と呼ばれています。また本堂向かいの唐門(からもん)と築地塀の白壁と真っ赤な紅葉のコントラストも見事で、紅葉の時期には境内全てが赤や黄色の紅葉に包まれたような美しい景観が広がります。
G
渡月橋
とげつきょう
渡月橋は嵐山の大堰川(おおいがわ)に架かる橋で、渡月橋より上流を保津川(ほづがわ)、下流を桂川と呼びます。834年から848年に僧である道昌(どうしょう)によって造られました。亀山上皇(かめやまじょうこう)が、橋の上空をゆっくりと移動していく月を見て「くまなき月の渡るに似る」と詠われたことから、渡月橋と名付けられました。1934年(昭和9年)に完成した現在の橋は、橋脚(きょうきゃく)と橋げたは鉄筋コンクリートになっていますが、京都の景観になじむようにと欄干(らんかん)の部分が木造になっています。京都や嵐山のパンフレットや写真にはこの渡月橋の映像を使うことが多く、嵐山の風景の象徴にもなっています。
H
妙徳山 華厳寺(鈴虫寺)
みょうとくざん けごんじ(すずむしでら)
一年を通して鈴虫の鳴き声が本堂に響く鈴虫寺(すずむしでら)は、正式名を妙徳山 華厳寺(みょうとくざん けごんじ)といいます。
1723年に華厳寺を開山(かいさん)した鳳潭上人(ほうたんしょうにん)は名高い学僧で、比叡山(ひえいざん)から始まり、京都や大阪の数多くの寺で各宗を学び、奈良にて華厳宗を修め、難解であった華厳宗(けごんしゅう)をわかりやすく説き広めました。その後、1868年に華厳寺は臨済宗へ改宗されています。
鈴虫寺のいわれは、先代住職が鈴虫の鳴き声で開眼し、試行錯誤の末、季節に関わらず鈴虫の鳴き声を聞くことができるようになったこととされています。
本堂の飼育箱には常に一万匹以上の鈴虫が飼育されており、美しい鳴き声を聞かせてくれます。鈴虫寺に参拝した人は本堂に通され、鈴虫の声を聴きながらお茶とお菓子をいただき、住職の鈴虫説法を聞くことができます。
また、鈴虫寺の山門にはわらじを履いた「幸福地蔵さん」が立っており、どんな願い事でも一つだけ叶えてくれると広く知られ、今では全国からたくさんの参拝者が訪れます。