沖縄本島はビーチとドライブだけじゃない!
沖縄本島南部エリアの観光音声ガイド

沖縄本島南部
TOURIST Guide編集部
渋谷朋子

沖縄本島南部

沖縄本島南部
keyboard_arrow_down

那覇市を中心に、魅力的な観光名所が多い沖縄本島南部。
東の海にはニライカナイに通じる神の島、久高島を有し、それを望む南城市には琉球王国一の聖地である斎場御嶽をはじめ、糸数城、玉城城など多くの史跡が集中しています。
また、古代から連綿と息づく亜熱帯の森「ガンガラーの谷」や、「おきなわワールド文化王国」の巨大な鍾乳洞、都会でありながら豊かなマングローブ林に水鳥が集まる「漫湖水鳥・湿地センター」など、自然の見所も豊富。沖縄戦最後の舞台として戦争を後世に伝え、平和の尊さを訴え続ける平和祈念公園やひめゆりの塔は、訪れたすべての人の心に響きます。
海岸線の美しさは言うまでもなく、ニライカナイ橋や知念岬公園は人気のドライブスポットです。


斎場御嶽

A 斎場御嶽

知念岬公園

B 知念岬公園

ニライカナイ橋(ニライ橋カナイ橋)

C ニライカナイ橋(ニライ橋カナイ橋)

玉城城跡

D 玉城城跡

糸数城跡

E 糸数城跡

おきなわワールド文化王国・玉泉洞

F おきなわワールド文化王国・玉泉洞

ガンガラーの谷

G ガンガラーの谷

平和祈念公園

H 平和祈念公園

ひめゆりの塔・ひめゆり平和祈念資料館

I ひめゆりの塔・ひめゆり平和祈念資料館

琉球ガラス村

J 琉球ガラス村

具志川城跡

K 具志川城跡

漫湖水鳥・湿地センター

L 漫湖水鳥・湿地センター

旧海軍司令部壕

M 旧海軍司令部壕

スポット紹介

斎場御嶽

せーふぁーうたき

斎場御嶽
keyboard_arrow_down

斎場御嶽は、琉球王国創造の女神、アマミキヨがつくった7つのウタキのひとつです。「せーふぁ」は「最高の位」という意味で、国王の聖地巡礼「東御廻り」や、最も地位の高い女性の祭司 聞得大君の就任儀式「お新下り」など、国家の重要な神事がここで行われ、王国一の聖地として崇められてきました。
最大の見所は、巨大なふたつの岩でできた洞門。光が差し込むその奥には、三庫理とチョウノハナ、というふたつの拝所があり、斎場御嶽で最も神聖な領域です。左手の茂みの向こうには、神の島、久高島を望めますが、かつてここは三方が岩で閉じられた場所だったといわれています。 薄暗い拝所に岩の隙間から太陽が差し込む様子を想像すれば、ここがどれだけ聖なる場所だったかがうかがえます。
かつては神域のため男子禁制で、庶民は女性であっても入口の「御門口」から先には入れませんでした。今では世界遺産に登録され、多くの人が訪れる観光名所となっていますが、祈りの場所ということをふまえ、心静かにお参りください。 なお、週末と祝日には有料のガイドツアーが設けられ、琉球王国の成り立ちや信仰、神話など、貴重な話を聞くことができます。

知念岬公園

ちねんみさきこうえん

知念岬公園
keyboard_arrow_down

沖縄本島南部の東側に位置する知念岬は、眼前に鮮やかな空と海が広がる景勝地です。一帯は公園として整備され、園内には赤瓦の東屋や知念村閉村記念碑があるほか、パラグライダーも行われています。海の向こうに横たわる細長い島は、久高島。ニライカナイから舞い降りたアマミキヨが、琉球の国造りをここから始めたという神話に基づき、神の島と呼ばれています。その手前に見える小さな島は、コマカ島。クマカ島とも呼ばれ、小さな無人島ですが高速船が出ているため、夏には多くの人が訪れます。
岬周辺の見所は、沖縄屈指の聖地、斎場御嶽や、ニライカナイ橋。北にはあざまサンサンビーチがあるほか、その近くの知念海洋レジャーセンターではグラスボートや海ぶどう狩り、体験ダイビングといった多彩な海の遊びを提供しています。

ニライカナイ橋(ニライ橋カナイ橋)

にらいかないばし

ニライカナイ橋(ニライ橋カナイ橋)
keyboard_arrow_down

「ニライカナイ」とは、沖縄や奄美諸島に伝わる信仰のひとつで、東の海の彼方にある理想郷を指します。ここから名前がついたニライカナイ橋は、青々とした太平洋を望む沖縄屈指の絶景スポット。ドライブコースとしても人気があります。
橋、といっても川や海を渡る橋とは異なり、高台から豪快なU字曲線を描き下り坂になっている造りで、その高低差はおよそ80メートル。海に向かって手前がニライ橋、奥がカナイ橋と呼ばれています。
橋の上は駐停車禁止なので車を停めることはできませんが、橋には歩道があり、近くに車を停めてここまで歩いて来れば知念岬から琉球神話の聖地、久高島まで一望できます。一方、橋そのものを眺めるには、ニライカナイ橋に向かうトンネルの上がおすすめ。こちらも近くに車を停めて歩いて向かいます。いずれも、無限に広がる空と海に樹木の緑が映え、車で通り過ぎるだけではもったいない景色。ぜひ足を止めて南国の風と太陽を浴び、五感でニライカナイを感じてください。

玉城城跡

たまぐすくじょうあと

玉城城跡
keyboard_arrow_down

玉城城は、東に「神の島」と呼ばれる久高島を望む高台に位置し、琉球国王の聖地巡礼「東御廻り」の霊地として崇められた拝所のひとつです。築城の詳細は不明ですが、伝説によると、琉球王国の創生神、アマミキヨが城を築き、その子孫が城主を務めたと伝えられています。一方で、城壁の積み方から、実際にはおよそ600年ほど前に造られたものではないかと推定されます。
見所は、一の郭に残る琉球石灰岩をくり抜いた丸い城門。この珍しい門は、東の海の彼方にある理想郷「ニライカナイ」に通じており、夏至の日にはここから太陽光が差し込み、奥に設けられた雨つづ天つぎ御嶽を照らすよう造られています。また、ここでは干ばつの際に国王自ら雨乞いの儀式を行ったという記録も残されており、玉城城が軍事的な要素よりも宗教的な意味合いが強かったことがうかがえます。

糸数城跡

いとかずじょうあと

糸数城跡
keyboard_arrow_down

糸数城は沖縄本島南部において最大の規模を誇る城跡で、築城年代は不明ですが、おそらく14世紀前半、玉城城の西の守りを固めるために造られたものと考えられています。
細く長く続く壮大な西側の石垣は、自然の崖を利用しつつ、大きさや形を揃えることなくそのまま石を積み上げた「野面積み」が特徴です。一方、北側と東側には正方形や長方形に切り出した石を組んだ「切石積み」がみられ、高さ6メートルの城壁「アザナ」は、物見台として利用されていました。
敷地内にはウタキもあり、石灯籠や香炉が置かれた拝所が設けられています。また、糸数按司の住居跡や墓所も遺されており、糸数の「誰」なのか、はっきりと名前が書かれているわけではありませんが、このグスクは玉城按司の三男の居城であった、という説が一般的です。ちなみに、「按司」とは身分をあらわす言葉で、地方の支配者を意味します。

おきなわワールド文化王国・玉泉洞

おきなわわーるどぶんかおうこく・ぎょくせんどう

おきなわワールド文化王国・玉泉洞
keyboard_arrow_down

「おきなわワールド文化王国・玉泉洞」は、国内最大級といわれる鍾乳洞「玉泉洞」を中心に、ハブのショー、熱帯フルーツ園など、沖縄の魅力を凝縮した県内有数の観光施設です。
なかでも人気は「スーパーエイサー」。盆踊りの一種で、民族衣装に身を包み太鼓を打ち鳴らす迫力のエイサーにアレンジを加え、獅子舞や沖縄民謡など、沖縄の芸能が盛りだくさん。
「王国村」では、紅型、藍染め、琉球ガラスなど沖縄伝統工芸の制作体験ができるほか、築100年以上の古民家や、フールと呼ばれる豚の飼育小屋を兼ねた昔のトイレなど、貴重な有形文化財にもご注目ください。
王国歴史博物館には沖縄のシーサーやその原型とされるアジアの獅子なども展示されています。
他にも、「南都酒造所」ではハブ酒やクラフトビール、「おみやげ専門店街」ではパインかすてらやちんすこうなどを製造販売しています。旅の思い出にいかがですか。

ガンガラーの谷

ガンガラーの谷
keyboard_arrow_down

ガンガラーの谷は、豊かな自然が息づく亜熱帯の森です。
かつては鍾乳洞でしたが、それが崩れてできた谷間に、長い年月をかけて森が生まれました。見学は完全予約制のガイドツアーに限られています。
ツアーの見所は、古来より命の誕生を願いに人々が訪れる洞窟をはじめ、「森の賢者」と呼ばれるガジュマルの巨木、およそ2万年前の人類「港川人」の居住跡の可能性から現在も発掘調査が続く場所にも訪れます。
圧倒的な自然を前に亜熱帯の植物や生き物に目を奪われつつ、この場所を知りつくしたガイドの話に耳を傾ければ、1時間20分のツアーはあっと言う間です。なお、ツアーの解散場所は隣接する「おきなわワールド」。
沖縄の文化を丸ごと集めたご当地テーマパークで、ガンガラーの谷と併せて1日あそべる人気スポットです。

平和祈念公園

へいわきねんこうえん

平和祈念公園
keyboard_arrow_down

鮮やかな緑の向こうに真っ青の海が広がるこの美しい摩文仁の地が、沖縄戦最後にして最大の激戦地であったことは、もはや想像し難いかもしれません。平和祈念公園は、その歴史を後世に伝え、世界に平和を訴え続けるために存在します。なかでも沖縄県平和祈念資料館は、住民目線で捉えた沖縄戦をはじめ、戦後の米軍統治から本土復帰にいたるまでの歩みが詳しく解説されており、一度は見ておきたい施設。また、沖縄平和祈念堂の高さ12メートルに及ぶ坐像や、壁面を飾る「戦争と平和」と題された連作絵画も見事です。
園内ではほかに、平和の礎や摩文仁の丘の慰霊塔・碑、国立沖縄戦没者墓苑が主な見学地ですが、摩文仁の丘の西側、展望台の先にもぜひ足を向けてください。黎明の塔と第三十二軍司令部壕、さらにその奥には沖縄戦で命を落とした10代の少年たちが眠る沖縄師範健児之塔とガマの跡があり、それぞれに語られるべき歴史があります。
なお、広大な敷地をまわるには、園内EVバス(電動カート2台)が便利です。公園案内所から出発し、料金はひとり100円、園内7箇所に停車します。

ひめゆりの塔・ひめゆり平和祈念資料館

ひめゆりのとう・ひめゆり へいわきねんしりょうかん

ひめゆりの塔・ひめゆり平和祈念資料館
keyboard_arrow_down

戦争に未来ある少年少女を巻き込んだ悲惨な過去を象徴する、ひめゆりの塔。
「塔」と呼ばれていますが、1946年建立の塔は高さ約90センチメートルの石碑です。
その背後には亡くなった学徒の刻銘碑があります。
この2つを「ひめゆりの塔」と呼びます。
そばには、多くの人が亡くなった伊原第三外科壕が暗く深い口を開けており、併設の「ひめゆり平和祈念資料館」には、この地下壕の実物大模型が展示されています。
遺品や写真パネルでひめゆり学徒隊の沖縄戦をたどることができ、証言映像や手記は胸打たれる内容です。
なお、ひめゆりの物語は、1950年代に上映された映画「ひめゆりの塔」で全国に知られることとなりましたが、沖縄戦での学生の犠牲はひめゆり学徒隊にとどまりません。
沖縄本島各地の男女中等学校から多くの学生が戦場に送り込まれ、命を落としました。
このため沖縄には同様の慰霊碑が各地に建てられています。

琉球ガラス村

りゅうきゅうがらすむら

琉球ガラス村
keyboard_arrow_down

 琉球ガラスが沖縄の伝統工芸品に認定されたのは1998年のこと。400年近い歴史をもつ焼き物のやちむんや、多彩な琉球染織と比べると歴史の浅い文化です。
琉球ガラスの魅力をぎゅっと集めた琉球ガラス村は、県内最大級の手作りガラス工房です。実際に職人の制作風景を見学できるほか、体験教室も充実。息を吹き込んでガラスを膨らませる「型吹き」と呼ばれる作業や、オリジナルの香りを調香できるフレグランス体験、シーサーの色付けなど、めったに体験できない様々なコースが用意されており、予約なしにその場で申し込めます。
一方、店舗は名工が手塩にかけた一級品からお得なわけあり商品まで、県内有数の品揃え。ガラスショップでは入口のドームにもご注目ください。板ガラス2233枚を使用した虹色のガラスドームで、中心の赤は沖縄の太陽を表しています。

具志川城跡

ぐしかわぐすく

具志川城跡
keyboard_arrow_down

沖縄本島最南端に位置する具志川城は、高さ約17メートルの崖の上に築かれ、三方を海に囲まれている点が特徴です。築城の年代は不明ですが、一説によると、久米島の具志川城の主が攻め滅ぼされた際にこの地に逃れ、同じ名前の城を築いた、と伝わっています。沖縄にはここと久米島に加え、うるま市にも具志川城という名の城跡があり、関連は定かではありませんが、いずれも海に面した崖に造られている点が共通しています。
一帯には石垣や城門、海へつながる「火吹き穴」などの遺構が残されており、石垣は修復工事により、既存の石と新たな石を組み合わせて積まれたものです。また、発掘調査では、13世紀から15世紀ごろの中国の陶磁器や、古い貨幣、牛や豚の骨などが見つかっていますが、土器は発見されていないことから、ここは住居を構えてひとが常時住むような場所ではなかったのでは、と考えられています。

漫湖水鳥・湿地センター

まんこみずどり・しっちせんたー

漫湖水鳥・湿地センター
keyboard_arrow_down

漫湖水鳥・湿地センターは、都会にありながらマングローブの林や野鳥を間近で観察できる無料の施設です。
漫湖は湖ではなく海と川の水が出あう河口干潟です。
海と同じく潮の満ち引きがあり、満潮時には海水で満たされ、干潮時には泥の干潟となります。
この泥や水の中に棲む魚やカニ、貝などを目あてに秋から春にかけて渡り鳥がやってきます。中にはクロツラヘラサギやアカアシシギなど稀少な鳥も含まれ、水鳥だけでおよそ100種が確認されています。
また、メジロやカワセミなど年間を通して見かける野鳥も観察できます。
木道、約200メートルの遊歩道からは、珍しいマングローブの花や種子、干潟で暮らすトントンミーやシオマネキの仲間を目の前で見ることもできます。
夏には、一日花であるオオハマボウ(皇室佳子様のお印)にも注目です。

旧海軍司令部壕

かいぐんしれいぶごう

旧海軍司令部壕
keyboard_arrow_down

旧海軍司令部壕は、1944年に日本兵3,000人によって掘られた旧海軍の指令基地です。
現在は空港から最も近い戦跡地として整備・公開されています。
クワやツルハシなどを使い、手作業で5ヶ月間かけて掘った地下壕が当時のまま残されています。
 地下20メートルまで下りた先には、司令官室や幕僚室、暗号室など、300メートルに渡り、歩いて見学することができます。また資料館では壕内で発掘された遺品や兵士が家族に宛てた手紙を閲覧できるほか、年表や写真で沖縄戦について学ぶこともできます。
資料館に展示されている大田司令官の訣別の電文は、当時よく見られた「天皇陛下万歳」といった文言はなく、戦争に巻き込まれた沖縄県民の様子を事細かに記載し、県民に対する配慮を請う人間味あふれる内容で、心を打たれます。
なお、毎週金曜日は無料のガイドツアーが設けられ、前日までに連絡すれば予約可能です。

都道府県

新潟県 富山県 石川県 福井県 山梨県 長野県
滋賀県 京都府 大阪府 兵庫県 奈良県 和歌山県
鳥取県 島根県 岡山県 広島県 山口県
徳島県 香川県 愛媛県 高知県
福岡県 佐賀県 長崎県 熊本県 大分県 宮崎県 鹿児島県