本州最北端、みちのくの豊かな自然と素朴な人情
「青森」エリアの音声ガイド
青森エリア紹介
本州最北端の地、青森県。県庁所在地の青森市は、陸奥湾(むつわん)につながる青森湾に面しています。
古くから東北を経由して関東と北海道を結ぶ、交通輸送手段の要衝でした。
青函トンネルが完成するまで津軽海峡(つがるかいきょう)を往復した連絡船は、退役後、博物館に変身し、旅情感あふれる船旅の名残を伝えています。青森市の総人口はおよそ28万人、人口密度は、ほぼ同じ広さの京都市に比べると五分の一の340人余りなので、ゆったりした感じのある街です。
また海と山に挟まれ豊富な海産物やリンゴなど自然の恵みも豊富です。青森を代表するイベント「青森ねぶた祭」は、勇壮な山車(だし)と踊り手の独特の掛け声が人気を呼び沿道は見物客で埋め尽くされます。湯治場でも知られる酸ヶ湯(すかゆ)温泉は女性も安心して楽しめる混浴風呂が評判で、温泉ブームの火付け役にもなりました。
また東北最大規模を誇る浅虫(あさむし)水族館は、海底から眺めるような迫力あるトンネル水槽が自慢です。冬は季節風が吹き荒れる、厳しい風土に根付いた地域独特の素朴な人情や文化が、観光地にも彩を添えています。
A 青森駅周辺
B 青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸
C 青森県観光物産館アスパム
D ねぶたの家 ワ・ラッセ
E 青森ねぶた祭
F 青森県立美術館
G 三内丸山遺跡
H 浅虫温泉
I 浅虫水族館
A
青森駅周辺
あおもりえきしゅうへん
演歌「津軽海峡冬景色(つがるかいきょうふゆげしき)」にあるように、厳しい風雪に耐えて生きる人々と旅人の人情が交差するのが青森駅です。
北海道まで夜行列車と連絡船を乗り継ぐ長旅の時代、中継点としての青森は郷愁感あふれる場所でした。青函トンネル開通後、連絡船が廃止された青森駅は、奥羽本線(おううほんせん)や地域ローカル線の起終点として県内観光地などを結ぶ役割を担っています。
駅前にあるのが、青森市観光交流情報センターです。観光地や列車、バスの時刻表、地域グルメなど一通りの情報が揃っていて、初めて訪れる旅行者には心強い存在です。
また青函連絡船が停泊していた埠頭周辺の関連施設がウォーターフロントとして再開発・整備されました。
青森の頭文字、Aをイメージした三角形の複合商業施設とベイブリッジ、それらを眺められる遊歩道は散策途中の休憩ポイントに最適です。
また、ねぶた祭りのすべてがわかるミュージアム、そしてメモリアルシップ・八甲田丸(はっこうだまる)が、博物館として連絡船の歴史や往年の活躍ぶりを伝えています。
青森駅周辺は、時代の変化に対応しながら歴史を継承し、旅の魅力を発信している場所です。
B
青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸
せいかんれんらくせんめもりあるしっぷはっこうだまる
青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸(はっこうだまる)は、役割を終えて退役した船舶の一隻で、連絡船の歴史を伝える海上博物館として1990年に開館しました。
八甲田丸は、5,400トン、1964年から1988年3月まで歴代連絡船では最長の23年7か月にわたって就航しました。
津軽海峡は東西約130キロメートルあり、船乗り泣かせと言われるほど潮の流れが速く、冬の荒波が重なると通常3時間50分の航海は、熟練した操船技術が求められました。
メモリアルシップの四階にある操舵室(そうだしつ)は当時のままの状態で開放されています。
無線交信しながら、風の向きや速さ、天候の変化を読み取って船を操る乗組員の姿が蘇るようです。
また階下にある青函ワールドは、連絡船の就航で発展していく青森市の姿に触れることができます。
昭和30年代がテーマの青森駅前のジオラマは海産物やリンゴなどを売る人、運ぶ人でひしめき合う市場など、活気に満ちた光景が再現されています。
人員・物資だけでなく列車も運んだ連絡船、車両積載室の機関車や巨大なディーゼルエンジンなど興味の尽きないミュージアムです。
C
青森県観光物産館アスパム
あおもりけんかんこうぶっさんかんあすぱむ
青森県観光物産館アスパムはウォーターフロント地区再開発のトップを切って1986年に竣工しました。
地上15階建てで高さは76メートルあり、正三角形という珍しい形状が特徴です。
名称を公募して、青森のA、観光(Sightseeing)のS、物産(Products)のP、そして館(やかた)(Mansion)のMと、 四つの頭文字を合わせたものが採用されました。
また三角形はAの文字をイメージしています。 複合施設で一階に地域の名産品を扱う店舗が集中しています。
青森県産のリンゴジュース、サイダーや蜂蜜、それにニンニクやホタテの加工品など、海山の珍味が並べられ、 観光客も品定めに余念がありません。
2階「360°3Dデジタル映像シアター」では、日本最大級の360°スクリーンで、青森の四季の美しさや夏祭りの迫力を体感できます。
また、13階の展望台からは、青森市街はもちろん、沖合に広がる陸奥湾を一望できます。
そのほか、郷土料理を堪能できる「みちのく料理 西むら」や、毎日店内で焼き上げるアップルパイ専門店「Sweets Factory pampam」など 、青森ならではの美味しいメニューも充実しています。
D
ねぶたの家 ワ・ラッセ
ねぶたのいえ わ・らっせ
「ねぶたの家 ワ・ラッセ」は、青森市のウォーターフロント地区に2011年に開館しました。愛称は、人同士をつなぐ「輪」や調和の「和」と、ねぶた祭りの掛け声「ラッセラー」を合わせたものです。
建物は、ひときわ目を引く外観が特徴です。赤茶色の鋼板が、建物を取り囲むように一定の間隔で何枚も連なって並び、さらにひねり加工を加えた曲線を描いています。
スクリーンルーバーと呼ばれるこの金属板の壁は、曲線の効果で、それぞれの間隔が日除けや風除けの役割を果たし、暖簾(のれん)をくぐって中に招き入れるイメージを体現しているそうです。
毎年8月上旬の6日間だけ行われる青森ねぶた祭ですが、ワ・ラッセでは一年を通してその魅力を体感できます。
館内に本物のねぶた4台が展示されており、その幅は9メートル、奥行き7メートル、高さ5メートルで重さは4トンもあります。
館内には笛や三味線、ねぶた囃子(ばやし)のBGMが流れていて臨場感も抜群です。
また祭りの歴史や、ねぶたを制作する技術の変遷なども詳しく紹介しており、ここに来れば、「ねぶた通」に成れること請け合いです。
E
青森ねぶた祭
あおもりねぶたまつり
青森ねぶた祭は、周囲を圧倒するような迫力の山車灯籠(だしとうろう)が街に繰り出す勇壮な祭りです。
毎年8月2日から7日までの間行われ、200万人以上の見物客が訪れます。
祭りの由来は、七夕祭りの灯篭流しの変形であろうと言われていますが、その起源は定かではありません。
ねぶたの迫力は、人形型灯篭に描かれた顔にあります。
いずれも相手を射るような睨む形相で歌舞伎や歴史ストーリーの名場面から選ばれているそうです。
津軽に遅い春が訪れる頃、ねぶた作りは本格的に始まります。
そして迎えた祭り本番、毎年20台前後のねぶたが登場すると、沿道は興奮のるつぼと化します。また祭のもう一つの主役が「ラッセラーラッセラー」の掛け声ではね踊る「ハネト」です。
笛や太鼓、手振り鉦(てぶりがね)のお囃子とハネトの掛け声が混じる勇壮な真夏の祭典です。長い冬を耐え、短い夏にありったけのエネルギーを燃焼させる青森人の魂がこもっています。
F
青森県立美術館
あおもりけんりつびじゅつかん
青森県立美術館は縄文遺跡の三内丸山遺跡に隣接して建つ美術館で2006年に開館しました。
13万平方メートルの広大な敷地に建つ二階建ての美術館は、トレンチと呼ばれる発掘現場で掘る大きな溝の上に、凹凸(おうとつ)のある白い建物が覆いかぶさる斬新なデザインです。
屋外に展示されている美術館のシンボル、奈良美智(ならよしとも)氏作の「あおもり犬」は、高さ8.5メートル、横幅6.7メートルの巨大な犬のオブジェで、うつむいたその表情に癒されると評判です。また奈良氏のもう一つの大型作品「Miss Forest / 森の子」を展示している八角堂(はっかくどう)は、見上げると屋根がなく、八角形に見える青空が絵画にも見える不思議な空間で、無料で鑑賞できるスポットです。
このほか、シャガールが描いたバレエの背景画や青森出身の版画家 棟方志功(むなかたしこう)氏、既成概念の向こう側にある新たな世界を模索した成田亨(なりたとおる)氏らの作品も置かれ、芸術の先端を走る姿勢が貫かれています。
縄文文化とモダンアートが時空を超えて繋がり、新たな創造を試みるエネルギーにあふれています。
G
三内丸山遺跡
さんないまるやまいせき
三内丸山遺跡は、八甲田山を臨む、なだらかな丘陵地帯に広がる日本で最大規模の縄文遺跡です。
広さは42ヘクタール、東京ドームほぼ9個分です。1992年から本格的な発掘調査が行われ、1994年の遺跡保存の決定を受けて整備が始まりました。
発掘調査の結果、大規模な集落跡だったことを裏付ける様々な発見が相次ぎ、縄文文化の生活を知る貴重な遺跡であることがわかりました。
竪穴建物や掘立柱建物(ほったてばしらたてもの)が並ぶ遺跡のほぼ中心に復元された大型竪穴建物は、長さ約32メートル、幅約10メートルもあり、集落での集会所や共同作業所などであったと推測されています。また建物を見下ろすように立つ、大型掘立柱建物(おおがたほったてばしらたてもの)と呼ばれる六本柱の建物は、等間隔に柱が並んでいます。さらに柱の周囲と底は腐敗を防ぐために焦がした痕跡も確認されました。約5900年~4200年前の縄文人が測量などの建築技術を持っていたことを意味する貴重な遺構です。
このように三内丸山遺跡では、これまでの調査で見つかった4万箱以上の出土品から採集・狩猟・漁労を主な生業として定住していた縄文人の大規模集落の様子がよくわかります。謎に包まれた太古のロマンに触れてみてはいかがでしょうか。
H
浅虫温泉
あさむしおんせん
青森県中央部、陸奥湾(むつ)に突き出したような夏泊半島(なつどまりはんとう)の付け根の部分にあたるのが浅虫温泉(あさむしおんせん)です。平安時代に繊維の麻を蒸すために温泉を使っていたという名前の由来や、鹿がケガを治すために湯につかっていたのを見た法然上人(ほうねんしょうにん)が村人に入浴を勧めたなど諸説があります。温泉地として有名になるのは明治時代からです。映画「八甲田山(はっこうださん)」で知られる雪中行軍遭難事件で生存者を湯治のため送り込み、その後日露戦争でも傷病兵の療養場所として使い県外でも有名になりました。さらに下北半島を望み後方を山で囲まれた地形が似ていることから東北の熱海と呼ばれるようになりました。そして昭和初期に丹奈(たんな)トンネルの開通で熱海は利用客も増大して温泉歓楽街へと変貌しますが浅虫温泉も同様に発展しました。当時の温泉リゾート開発が東北にも影響を与えた格好です。温泉街は陸奥湾に面して10件ほどの旅館が軒を連ね、海水浴やサーフィン、ヨットなどマリンスポーツの愛好家も訪れています。周辺には「青森県営浅虫水族館」「サンセットビーチあさむし」や「海釣り公園」もあり、旅だけでなく家族のレジャーにも最適の場所です。
I
浅虫水族館
あさむしすいぞくかん
陸奥湾に面した浅虫水族館は、本州最北端の水族館で、地元青森に生息するものをはじめ、イルカやペンギンなどおよそ1万点の水生生物を飼育・展示しています。
長さ15メートル、奥行10メートル、水深3.5メートルのアーチ型のトンネル水槽は、2015年に陸奥湾の海を再現したものにリニューアルされ、陸奥湾に暮らす生き物を間近で観察できます。
普段は食卓に上るアジやサバ、カレイなどその数は25種類、2500匹以上の魚が群れで泳いでいたり、大型の魚が目の前を横切ったりする姿に圧倒されます。
また水族館といえば子供に大人気のイルカのパフォーマンスですが「さすが青森!」と思わせるパフォーマンスがあります。
津軽三味線やねぶたのお囃子をアレンジした音楽に合わせてジャンプなどのパフォーマンスを繰り広げるイルカたちが華麗な水上の舞を披露してくれます。
しかもステージ奥の380インチの大画面では四季の映像を楽しめ、連日大歓声に包まれています。豊饒(ほうじょう)な海の幸に恵まれた青森ですが海の幸とともに楽しみ共存する営みがここにはあります。