小江戸として親しまれている
「川越」エリアの観光音声ガイド

川越エリア紹介
TOURIST Guide編集部
三遊亭平太

川越エリア紹介

かわごえ
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川越は埼玉県南西部に位置する都市で県内3番目の大きさです。
江戸時代には城下町として、また北関東を結ぶ街道の宿場町(しゅくばまち)として発展しました。
中心地・江戸に近いことで政治、経済両面で幕府とのつながりが深かったことで「小江戸」と呼ばれていましたが、いまではその呼び名は、江戸時代の景観を残す町の象徴として使われています。
江戸時代から今日まで市民に時を告げる鐘楼(しょうろう)・時の鐘が見下ろす旧市街は、時代を感じさせる蔵造りの建物が並ぶ必見の散歩コース、また由緒ある神社仏閣が多く、いまブームになっているご朱印巡りの人気ルートとして愛好家にも喜ばれています。
そして川越の歴史が丸ごとわかる博物館では江戸時代の興味深い武器や道具などを展示しているほか、美術館では地元にゆかりの作家の作品を通じて、観光だけでなく歴史が育んだ風土を探求することもできます。


川越まつり会館

A 川越まつり会館

菓子屋横丁

B 菓子屋横丁

時の鐘

C 時の鐘

川越一番街商店街

D 川越一番街商店街

喜多院

E 喜多院

スポット紹介

川越まつり会館

かわごえまつりかいかん

川越まつり会館
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川越まつりは「川越氷川祭りの山車行事」として平成17年2月に国の重要無形民俗文化財に指定され、平成28年12月に「ユネスコ無形文化遺産」に登録された江戸天下祭りの様式を色濃く残したまつりです。
川越まつり会館は山車などを展示している博物館で2003年にオープンしました。
建物は町並みの景観に合わせた蔵造りで、時代を感じさせる堂々とした外観が特徴です。川越まつりは毎年10月に行われ、館内ではその様子が常時放映されており、大型スクリーン映像で興奮や熱気がリアルに伝わってきます。
また展示ホールでひときわ目を引くのが、川越まつりで実際に曳かれている2台の山車です。最上部にある飾りつけの人形まで入れると高さは8メートル余り、重さは5トン以上、これに絢爛豪華(けんらんごうか)な装飾が施され、目を見張るような迫力です。
まつりでは毎年20台前後の山車が街中で曳行(えいこう)されますが最大のハイライトは「曳っかわせ(ひっかわせ)」です。「曳っかわせ」とは山車が各町内の会所前にさしかかる時や通りで山車同士が出会う時、町どうしの挨拶として囃子(はやし)の儀礼打ちを行うことです。
宵闇(よいやみ)に浮かび上がる光と熱気に魅了されて、毎年100万人近くの観光客が訪れます。

菓子屋横丁

かしやよこちょう

菓子屋横丁
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蔵造りの大通りから一つ横道にあり昔懐かしい雰囲気を漂わせているのが菓子屋横丁です。
古くは門前町の一角として栄えていましたが明治初期に鈴木藤左衛門(すずきとうざえもん)という菓子職人が、この場所で江戸っ子好みの気取らない駄菓子を作り始めたことが始まりといわれています。
大正時代から昭和初期に最盛期を迎え、特に関東大震災の後は、被災した東京の下町に代わり菓子の製造と供給を引き受けたことで業者も70軒を数えるほどの大盛況となりました。
その後戦災や戦後の食生活の変化などで、業者は激減しましたがいまでも20軒あまりが軒を連ねて横丁を形成しています。
通りに入ると目に映るのは、ガラスを散りばめ飴をイメージした石畳、そして両側の店からは醤油やニッキ、ハッカやカラメルなど昔なつかしい香りが鼻をくすぐります。
大人には懐かしく子供には新鮮に映る、いわゆるスウィーツとは違った趣がある駄菓子は、世代を超えて支持されておりその文化が、ここ菓子屋横丁にはしっかりと根付いています。

時の鐘

ときのかね

時の鐘
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時の鐘は、古くからこの地に根付いてきた鐘楼で、江戸の名残・蔵造りの町並みを見下ろすように高くそびえ立っています。高さ16メートル、いまからおよそ400年前に当時の川越藩主 酒井忠勝(さかいただかつ)によって建てられました。
その後相次ぐ火災で焼失と再建を繰り返し、現在の建物は明治26年の大火の後に建て直された4代目に当たります。
この火災では自分たちの住まいや商店が焼け落ちたにもかかわらず、住民たちの総意でこの鐘楼の建設を最優先させました。
単なる町のシンボル以上に愛着ある建物だったことを窺わせます。
かつては庶民が時間を知る貴重な時計代わりでしたが、今では午前午後の6時と正午、それに午後3時を告げる鐘の音が響くのみとなっています。
それでも、古風な街並みに響く音色の情緒が評価され、環境省の「残したい日本の音100選」に選ばれました。
またこの鐘楼は2年がかりで大規模な耐震補強工事が施されました。地下には60トンものコンクリートを流し込んで基礎を強化し屋根の吹き替えも行われ災害にも強い鐘楼へと変身しました。

川越一番街商店街

かわごえいちばんがいしょうてんがい

川越一番街商店街
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小江戸・川越の顔ともいえる一番街は、長さおよそ500メートルのメインストリートで、道の両脇には30数棟の蔵造りの家屋が並んでいます。
それぞれに特徴がありますが共通しているのは重厚な土蔵造りの壁と威厳ある鬼瓦、そして観音開きの窓で、建物の強度や火災時の類焼防止、それに外観などの要素を取り入れた結果、風格ある町並みになりました。
また電柱・電線も地下に埋めているため江戸情緒が全く損なわれていません。
通りで最も古い建物は明治26年の大火災で焼失を免れた大沢家住宅です。
大火災からさらに100年前の1792年、呉服太物(ごふくふともの)を扱っていた豪商 西村半右衛門が建てた店舗で、シンプルな切妻造り(きりづまづくり)ながら当時の建築様式を知るうえで価値があるとして、国の重要文化財に指定されています。
商店街に並ぶ蔵造りは江戸の町づくりの影響を大きく受けましたが、本家の東京では戦災などですべて姿を消したため江戸文化の貴重な保存先としても重要な役割をはたしています。

喜多院

きたいん

喜多院
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喜多院(きたいん)は平安時代の830年に創建され、当時は無量寿寺(むりょうじゅじ)と呼ばれていました。
その後江戸時代初めに天海僧正(てんかいそうじょう)が27代の住職を務めた際に喜多院と改められました。
天海僧正とは、徳川家康の参謀役として幕府の政権運営に大きな影響を与えたことで知られる、南光坊主天海(なんこうぼうてんかい)です。
そして家康の後押しを受けて江戸城から徳川家光や春日局(かすがのつぼね)ゆかりの建造物が移築されるとともに山門や鐘楼門(しょうろうもん)、それに天海を祀った慈眼堂(じげんどう)などが新たに建造されました。
これらは重要文化財にも指定され関東を代表する寺の一つに数えられています。
境内には江戸時代中期から40年かけて造られた五百羅漢(ごひゃくらかん)の石像達が綺麗に並んでいます。
日本三大羅漢の一つで、石仏は全部で538体、ポーズと表情はすべて異なり人生の喜怒哀楽を表現したものといわれています。
また喜多院では江戸城紅葉山(もみじやま)を模した紅葉山庭園があり、秋になると建物や庭園に美しく映える紅葉を鑑賞できるほか、11月には菊祭りも催され一層の彩を添えます。
さらに年明けのだるま市や節分の豆まきなど年間を通して多彩な行事が営まれます。

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