浅間山を望む高原リゾートと温泉
「万座・嬬恋・北軽井沢」エリアの観光音声ガイド11選
万座・嬬恋・北軽井沢エリア
群馬県吾妻郡は群馬県の北西部にあり、さわやかな空気に包まれた高原リゾートを数多く有しているエリアです。また温泉にも恵まれ、スキーの名所としても有名な万座温泉など、多くの温泉場を含んだ日本有数の温泉エリアでもあります。郡内の嬬恋村(つまごいむら)は、現在も活発な火山活動を続ける浅間山を望み、甘みが強くて風味の良い高原キャベツの産地としても知られています。
一方で、江戸時代に多くの犠牲者を出した浅間山大噴火(あさまやまだいふんか)の爪痕(つめあと)を残す観音堂や、流れた溶岩流が固まってできた荒々しい奇岩の光景など、観光名所であるとともに火山の脅威を今に伝えている土地でもあります。
真夏でもしのぎやすい気候であることから、かつては富裕層向けの避暑地として開発された別荘地も、その後のリゾートブームを経て、現在は冬にはスキー客も訪れる通年で賑わう場所となりました。アウトドアのレジャー施設も充実しており、老若男女問わず、滞在型で楽しめるスポットが数多くあります。
温泉から入るか、景色を巡るか、楽しみ方も多彩で迷ってしまう魅力満載のエリアです。
A 嬬恋高原キャベツ畑
B 鎌原観音堂
C 軽井沢白樺高原教会
D 軽井沢おもちゃ王国
E 鬼押出し園
F 浅間家畜育成牧場
G 浅間大滝
H 旧草軽電鉄北軽井沢駅舎
I 愛妻の丘
J 万座温泉
K 川原湯温泉
A
嬬恋高原キャベツ畑
つまごいこうげんきゃべつばたけ
群馬県北西部に位置する嬬恋村(つまごいむら)は平均標高がおよそ1000メートル、真夏でも平均最高気温が25度前後の高原地帯に位置する寒冷地です。
このため高原野菜の栽培に適しており、全国一の夏秋(かしゅう)キャベツの生産量を誇っています。
高い標高に加え一日の寒暖差が大きいため、平地に比べ糖度が高く、葉が柔らかくみずみずしさがあるのが特徴です。
村一帯に広がるキャベツ畑は3,000haを超え、東京都の杉並区とほぼ同じ広さにぎっしりとキャベツが植えられてている様子は、まるで緑のカーペット。ここで収穫・出荷されるキャベツの量はなんと年間1億5000万個余り、国民一人一人に配ってもまだ余裕のある数です。
このキャベツ畑を見ながら走る真夏の恒例イベントが「嬬恋高原キャベツマラソン」。
これは毎年7月に行われるマラソン大会で、最長コースは20kmを超えるハーフマラソン。浅間山とキャベツ畑が青空に映え、心地よい汗がかけると人気となっています。
しかし標高差が700メートルもあるコースは、アップダウンが続く日本で最も過酷なマラソンとしても知られています。足に自信のある方はぜひ挑戦してみませんか。
B
鎌原観音堂
かんばらかんのんどう
嬬恋村(つまごいむら)にある鎌原観音堂(かんばらかんのんどう)は、江戸時代に起きた浅間山大噴火(あさまやまだいふんか)による災害の悲劇と鎌原村の復興を象徴するお堂です。
1783年(天明(てんめい)3年)旧暦7月、それまで小規模な噴火活動が続いていた浅間山が突然大噴火。
発生した土石なだれの直撃を受けたのが戸数95 戸の鎌原村でした。
村民ら570人のうち477人が犠牲となり、観音堂へ続く50段の石段を駆け上ることができた93人は辛うじて生き残ることができました。
現在残っている石段の数は15段。つまりこれより下の35段目までが土石なだれに飲み込まれたことを示しています。
そのため、この残った15段の石段は「生死を分けた15段」とも呼ばれています。
土石なだれは、吾妻川(あがつまがわ)へ流れ込み泥流となって流れ下りました。また火山灰は江戸まで広がり、多くの農作物が被害を受け、「天明の大飢饉(てんめいのだいききん)」に拍車をかけました。
その後、村では夫や妻を亡くして生き残った者同士、親子を亡くした者同士を縁組させるなどして再興を図り、噴火からおよそ100年が経つ頃には、被災直後11 戸でスタートした村は、56 戸まで回復したといいます。
茅葺き屋根の観音堂は、鎌原の集落を見守るように、今も静かにたたずんでいます。参拝の際には、歴史災害の出来事とともに鎌原村の復興と語り継ぎを学んでいただければ幸いです。
C
軽井沢白樺高原教会
かるいざわしらかばこうげんきょうかい
軽井沢白樺高原教会は、浅間高原におよそ100万平方メートルの敷地を有するホテルグリーンプラザ軽井沢の一角にあり、周囲を囲む樹木に白くクラシカルな建物が映える、まるでおとぎ話の舞台のようなチャペルです。
ホテルは標高1000メートルを越える高地にあり、高原の花々、新緑の涼、燃えるような紅葉、一面の銀世界と四季それぞれで異なった景観が楽しめます。また各種レジャー施設やレストランなどもある総合リゾートでもあるため、これも白樺高原教会が結婚式場として人気の理由となっています。
敷地内は散策コースとしてもうってつけ。大自然の美しい景観を楽しんだ後には、ホテル内の温泉がオススメです。地下1600メートルから毎分200リットルの豊富な湯量が湧き出る奥軽井沢温泉「暁の湯」は、茶褐色の濁り湯が体を芯から温めてくれるだけでなく、筋肉や関節の痛みをやわらげるほか、美肌効果など様々な効能があるといわれています。
D
軽井沢おもちゃ王国
かるいざわおもちゃおうこく
軽井沢おもちゃ王国は、0歳の子どもから親子で一緒に楽しめるテーマパークです。
園内は大きく3つのエリアに分かれており、それぞれ素朴な木製のおもちゃから有名メーカーのおもちゃなど、ジオラマやプレイコーナーで子どもたちの想像力や好奇心を刺激する室内型の「おもちゃのお部屋」エリア。軽井沢ならではの大自然を活かしたツリーハウスやジップロープがある屋外型の「自然/アスレチック」エリア。大観覧車やメリーゴーランドなど人気アトラクションが集まった「アトラクション」エリアとなっています。
またそのほかにも木工クラフトや魚の掴み取りといった体験イベントが催されるなど、五感すべてを使った遊びと学びが満載。
徒歩約5分の位置には子ども連れ歓迎のホテルもあり、標高約1,100mに広がる高原リゾートで、伸び伸びとした休日を過ごせます。
E
鬼押出し園
おにおしだしえん
⿁押出し園は1783年、江戸時代10代将軍徳川家治の時代、天明の大噴火によって流れた溶岩が創り出した脅威と大自然の景勝地で、浅間北鹿ジオパークエリア内にあります。
この天明の大噴火は2つの大きな災害をもたらしました。
1つ目は、大量の火砕流が土砂や水をまき込み「土石なだれ」となって猛スペードで鎌原村を埋没させ、泥流は吾妻川を下り、利根川に流れ込み江戸まで流れつきました。その途中、鎌原村の477人を含む川沿いの村を襲い、約1500人が被災しました。鎌原村では鎌原観音堂に逃げた住民93人が生き残り、奇跡的な復興を果たし、現在では約1000人の村へと再生しています。
もう1つの災害は、この噴火により噴出した灰やガスによるものです。
成層圏まで届いた灰やガスはその場に溜まり、日中でも日が出ない状態が続き、農作物が育たず、天明の飢饉を⾧引かせた要因になったとされています。
⿁押出し園の溶岩は最後に浅間山の火口から流れ出た溶岩が冷えて固まったものです。
浅間山には昔から⿁が住んでいるという言い伝えがあったことから、この景色を見た当時の人が、⿁が暴れて岩を押し出したと伝えたことが名前の由来となっています。
春は高山植物・夏は涼・秋は紅葉・冬は雪景色と四季折々の景観が楽しめます。
また園内には東叡山寛永寺別院 浅間山観音堂があり、噴火により亡くなった方を供養しています。
ペットの同伴もOKです。
F
浅間家畜育成牧場
あさまかちくいくせいぼくじょう
北軽井沢の別荘地にほど近い浅間家畜育成牧場は、群馬県内の畜産農家の委託を受け乳牛の放牧や人工授精などを行う県有施設で、およそ800ha、東京ディズニーリゾート4個分という広大な敷地に年間500頭ほどの牛が飼育されています。
場内は伝染病予防のため牛とふれあうことはできず、立ち入りエリアに制限もありますが、天丸山(てんまるやま)へと続く遊歩道が整備されているので、牧場とその周囲の大自然を満喫できることができます。
藤山一郎のヒット曲「丘を越えて」のモデルとしても知られるこの牧場で、澄み切った青空、爽やかな風、一面に広がる大パノラマといった高原の醍醐味を感じてみませんか。
G
浅間大滝
あさまおおたき
浅間大滝(あさまおおたき)は北軽井沢エリアで最大規模を誇る滝です。熊川の豊富な水が幅およそ2m・高さ10mを豪快に落下する様は、白糸を束ねた水の帯のようにも見え美しく、また流れ落ちる水の音が周囲の樹々の静寂に溶けていく様子にも風情が感じられます。
浅間大滝までの道は遊歩道が整備されており、少し手前に掛かる橋からは滝の全景を見渡すことができます。滝の近くまで寄ることもできるため、新緑や紅葉の時期にはフォトスポットとしても人気があります。
熊川沿いには他にもいくつかの滝がありますが、浅間大滝から下流へ5分ほど歩いたところにあるのが魚止め(うおとめ)の滝です。
こちらは大きな落差はありませんが、三段に連なった黒い岩肌を覆うように流れる水の流れは奥行きのある美しさで、浅間大滝と比較して楽しむのもオススメです。
H
旧草軽電鉄北軽井沢駅舎
きゅうくさかるでんてつきたかるいざわえきしゃ
1915年(大正4年)、草津と新軽井沢とを結ぶ鉄道路線として草軽電気鉄道(くさかるでんきてつどう)が開業。北軽井沢駅はそれから3年後の1918年に当初は地蔵川駅という名称で誕生しました。
駅周辺が次第に別荘地として開発が進んでいくと、当時の法政(ほうせい)大学学長・松室致(まつむろいたす)が、自身の所有していた広大な土地を大学関係者や学者・文化人らに分譲し「法政大学村」と呼ばれる別荘地を形成するようになります。すると、1927年(昭和2年)、この大学村が地蔵川駅の駅舎を改築・寄贈し、駅名も北軽井沢駅へと変更されました。
草軽電気鉄道は軽便鉄道(けいべんてつどう)と呼ばれる簡便な規格で低コストでの建設・維持管理を目的とした鉄道でした。そのため線路の幅は狭く、車両も小さいのが特徴で、その浅間山をバックに高原を走るコンパクトな列車の姿には、のどかな風情が感じられたといいます。また1951年制作、女優 高峰秀子(たかみねひでこ)主演の映画「カルメン故郷に帰る」では北軽井沢駅がロケ地として登場しており、戦後初の国産カラー映画の中に営業当時の雰囲気を感じることができます。
その後草軽電気鉄道は、競合路線の登場よる利用者数の減少や度重なった台風による被害を受け、1960年に新軽井沢-上州三原間の路線を廃止。それにともない北軽井沢駅も廃駅となりましたが、その駅舎は取り壊されることなく現在まで残り。2005年の改修工事を経て、2006年には登録有形文化財に登録されました。
I
愛妻の丘
あいさいのおか
近年、愛妻家の聖地としても有名になった嬬恋村。訪れた人が自分の愛妻家ぶりを態度で示せるスポットの1つが2008年にオープンした「愛妻の丘」です。
愛妻の鐘がある嬬恋牧場の南、絶景のドライブルートとしても知られる「つまごいパノラマライン」の北ルートにあり、標高はおよそ1200メートル。シャクナゲのほか、ハートや虹をかたちどったカラフルな花々が毎年植えられ、訪れるたびに変化を楽しむことができる展望台です。
37段の階段を上ると、真正面には浅間山、そして一面のキャベツ畑が広がる眺望に気分は高揚。そしてその高まった気持ちを受け止めるかのように、ここには妻に愛を叫ぶための「叫び台」が設置されています。
直線距離でおよそ12キロメートルの浅間山中腹に向かって大声で「愛してるよ~」と叫ぶと「私もよ~」というこだまがきっと帰ってくるはず。
また丘の中央には、互いが向き合う形で足の位置が印されたハグ台があり、2人の背中を押しています。
態度で表すのは恥ずかしいというシャイな方には、思いを手紙に託して相手に届ける愛妻レターボックスも。
とにかく相手に伝えることが大切ですね。
J
万座温泉
マンザオンセン
万座温泉は嬬恋村の玄関口、万座・鹿沢口(まんざかざわぐち)から北上した、上信越高原国立公園(じょうしんえつこうげんこくりつこうえん)の一角にあります。
標高およそ1800メートルの高地にあり気温が平地より8度から10度ほど低いため、夏は涼しく、高山植物が咲き誇る中で避暑を満喫。また、冬は万座山(まんざやま)の原生林と変化にとんだ地形を活かした自慢のスキー場で楽しむことができます。
温泉は、硫黄の含有量が日本一多く、20種類を越える源泉に多彩な泉質、豊富な湯量と多くの特長を持ち、その効果・効能も消化・呼吸器から皮膚疾患に至るまでと幅広く、そのうえ美肌効果もあると老若男女問わず人気があります。
また万座温泉の南東には活火山の草津白根山が臨み、その裾野にある「空吹(からぶき)」では、山の中腹から水蒸気を含んだ火山性ガスが噴き出していて、火山エネルギーの一端を感じ取ることができます。
K
川原湯温泉
カワラユオンセン
群馬県の山間にある川原湯温泉(かわらゆおんせん)は、鎌倉幕府を開いた源頼朝(みなもとのよりとも)が、1193年に同地で狩りを行った際、温泉を発見したのがはじまりと伝わる、800年以上の歴史を持った温泉です。
川原湯温泉を代表する温泉施設「王湯」は、八ッ場ダムの建設工事に伴い新しい土地に移転・リニューアルし、移転前と変わらず多くの観光客が訪れる施設です。八ッ場ダムの湖である「八ッ場あがつま湖」のほとりに位置するため、露天風呂からは湖を一望することができます。
この王湯を舞台に行われるのが、「湯かけ祭り」です。
およそ400年前、一度枯れてしまった源泉が再び湧いたことを祝い、喜んだ住民たちが互いにお湯をかけあったことに始まるというこのお祭りは、毎年一月の大寒に行われる同地の伝統行事です。