鎌原観音堂
かんばらかんのんどう
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嬬恋村(つまごいむら)にある鎌原観音堂(かんばらかんのんどう)は、江戸時代に起きた浅間山大噴火(あさまやまだいふんか)による災害の悲劇と鎌原村の復興を象徴するお堂です。
1783年(天明(てんめい)3年)旧暦7月、それまで小規模な噴火活動が続いていた浅間山が突然大噴火。
発生した土石なだれの直撃を受けたのが戸数95 戸の鎌原村でした。
村民ら570人のうち477人が犠牲となり、観音堂へ続く50段の石段を駆け上ることができた93人は辛うじて生き残ることができました。
現在残っている石段の数は15段。つまりこれより下の35段目までが土石なだれに飲み込まれたことを示しています。
そのため、この残った15段の石段は「生死を分けた15段」とも呼ばれています。
土石なだれは、吾妻川(あがつまがわ)へ流れ込み泥流となって流れ下りました。また火山灰は江戸まで広がり、多くの農作物が被害を受け、「天明の大飢饉(てんめいのだいききん)」に拍車をかけました。
その後、村では夫や妻を亡くして生き残った者同士、親子を亡くした者同士を縁組させるなどして再興を図り、噴火からおよそ100年が経つ頃には、被災直後11 戸でスタートした村は、56 戸まで回復したといいます。
茅葺き屋根の観音堂は、鎌原の集落を見守るように、今も静かにたたずんでいます。参拝の際には、歴史災害の出来事とともに鎌原村の復興と語り継ぎを学んでいただければ幸いです。
〒377-1524
群馬県吾妻郡嬬恋村鎌原492
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[嬬恋郷土資料館]0279-97-3405
寺・神社、モニュメント
24時間拝観可能
無休
無料
JR吾妻線 万座・鹿沢口駅から西部観光バスで5分 鎌原観音堂前バス停下車、徒歩2分
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