弘法大師が開いた伊豆半島の歴史ある温泉街
「修善寺」エリアの観光音声ガイド12選

修善寺エリア紹介
TOURIST Guide編集部
西貴輝

修善寺エリア紹介

しゅぜんじ
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修善寺は、伊豆半島の中央に位置する自然豊かなリゾート観光地で、近年ジオパークにも登録されました。温泉街の中心に桂川が流れ、河岸(かわぎし)には温泉宿や飲食店が立ち並びます。修善寺温泉のはじまりは、807年 弘法大師が杵(きね)に似て中央がくびれた形状の「独鈷(とっこ)」と呼ばれる仏具で、川の中の岩を打ち砕いたところ、そこから温泉が湧き出たことからといわれています。
1200年以上もの歴史を持つ温泉に、源頼家が幽閉され暗殺されたといわれる修禅寺、そして「子宝の杉」がある日枝神社など、歴史ファンにはたまらない見所がたくさんある人気の観光地です。


修善寺温泉

A 修善寺温泉

福地山 修禅寺

B 福地山 修禅寺

竹林の小径

C 竹林の小径

修善寺梅林

D 修善寺梅林

日枝神社

E 日枝神社

桂橋

F 桂橋

独鈷の湯

G 独鈷の湯

修善寺虹の郷

H 修善寺虹の郷

十三士の墓

I 十三士の墓

スポット紹介

修善寺温泉

しゅぜんじおんせん

修善寺温泉
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修善寺温泉は日本百名湯(にほんひゃくめいとう)に選ばれている温泉で、伊豆半島で最も長い、1200年もの歴史を有するといわれています。
その昔、桂川のすぐ傍で、病に苦しむ父親の体を洗っている少年の前に弘法大師が現れ、川の水は冷たいからと川の中の岩に仏具の「独鈷(とっこ)」を打って温泉を湧かせました。その湯に浸った父親は、すぐさま病気が治ったと伝えられています。その伝説から、川辺にはあずまやの「独鈷の湯」があり、無料で見学できます。また、毎年4月21日の春季弘法忌(こうぼうき)に合わせて実施している「湯汲み式(ゆくみしき)」では、揃いの着物に身を包んだ町内の女性30名が「湯汲み娘(ゆくみむすめ)」として、僧侶が汲む湯を手桶に受け、250名ほどの行列とともに温泉街をパレードします。そして、手桶の「独鈷(とっこ)の湯」を修禅寺本堂まで運び、温泉を発見し湯治を広めてくれた弘法大師への感謝とともに納める、歴史ある修善寺温泉ならではの行事となっています。

福地山 修禅寺

ふくちざん しゅぜんじ

福地山 修禅寺
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福地山 修禅寺(ふくちざん しゅぜんじ)は、807年 弘法大師が開基(かいき)したお寺です。当初は真言宗でしたが、鎌倉時代には臨済宗、そして1489年には北条早雲(ほうじょう そううん)が新たに住職を招き曹洞宗のお寺となりました。開山から1200年目にあたる2007年には、本堂と大屋根(おおやね)の修復が行われました。福地山 修禅寺が創建された後、座禅の禅という字から「修禅寺」と呼ばれるようになりました。その後、お寺と地名の区別をするために、地域の名前は善悪の善を使った「修善寺」としました。
修禅寺といえば、源頼朝と北条政子の子どもである源頼家が1203年に幽閉されたことでも知られています。頼家は征夷大将軍の座を派閥抗争の末に剝奪(はくだつ)され、幽閉された翌年に暗殺されてしまいます。2003年には没後800年を記念して「源頼家公八百年祭」が行われ、それをきっかけに毎年7月に源頼家とその家臣13人を供養する「頼家祭り」が開催されるようになりました。

竹林の小径

ちくりんのこみち

竹林の小径
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竹林の小径(ちくりんのこみち)は、修善寺温泉の中央を流れる桂川沿いにある散策路です。
1994年から整備されたもので、完成までに3年が費やされました。竹林中央には大きな竹の円形ベンチなどがありますが、これらは「独鈷(とっこ)の湯」から散歩をして疲れたときに一休みできるように、という思いで設計されたと言われています。
歩いていると趣のある「火の見櫓(ひのみやぐら)」なども見えるので、温泉街ならではのノスタルジックな雰囲気が味わえます。

また、日没から夜11時までライトアップされ、温泉街が幻想的な雰囲気に一変します。
伊豆や箱根の観光地は夜9時を過ぎると灯りが消えてしまうところが多いですが、修善寺では竹林の小径などが夜11時までライトアップされているので、多くの観光客が浴衣姿で夜の散歩を楽しみに訪れます。
また、この散策路から赤い楓橋(かえでばし)を渡った先には、ギャラリーの「しゅぜんじ回廊」があります。四面(しめん)の壁には修善寺ゆかりの作家による写真などが飾られており、四季折々の魅力を伝えてくれます。

修善寺梅林

しゅぜんじばいりん

修善寺梅林
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修善寺梅林は、1,000本もの梅が鑑賞できる修善寺自然公園の中にある梅林です。
園内では毎年2月中旬から3月上旬まで「梅まつり」が行われ、東京ドームの半分ほどの広さをもつ敷地に植えられた1,000本の紅梅・白梅(こうばい・はくばい)が、可憐な花を咲かせます。20種類もの品種が植えられており、それらは樹齢100年を越える古木や、若木と呼ばれるものでも樹齢30年ほどと、どれも歴史のある木ばかりです。
早咲きや遅咲きをバランス良く配置しており、約1か月以上の間、様々な梅の花を鑑賞することができます。
園内からは梅の花の向こうに雄大な富士山が見え、また白やピンクの桃の花とのコントラストが桜とはまた違う繊細な景観を見せてくれます。
そのほか、園内には新歌舞伎の「修禅寺物語」で知られる作家 岡本綺堂の記念碑があります。暗殺された源頼家の仮面として伝わる木のお面が修禅寺の宝物として保存されていますが、それをモチーフとして描かれた作品が「修禅寺物語」です。梅の花を鑑賞しながら文学に思いをはせるといった趣ある時間が過ごせます。

日枝神社

ひえじんじゃ

日枝神社
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日枝神社(ひえじんじゃ)は、修禅寺の東隣(ひがしどなり)にある神社です。参道にはマキ、ケヤキ、スギの見事な大樹があり、鳥居をくぐるとそれらの迫力に圧倒されます。また、参道の先、20段の石段の上にある境内には、根周り5.5メートル、高さ25メートルという巨木で、県の天然記念物「一位樫(いちいがし)」がそびえ立っています。そのほかに有名な木として、子孫繁栄を願う「子宝の杉」があります。樹齢800年とも言われるもので、根本は1本ですが地上で2本に分かれて伸びており、この二股に分かれたところを通ると子宝に恵まれるという言い伝えがあります。
かつては、杉の木が二股に分かれた部分に鋼鉄製の階段が設置され、誰でも登って行けるようになっていましたが、杉の木の保護という観点から撤去され、現在は近くに絵馬をかけられるようになっています。

桂橋

かつらばし

桂橋
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桂橋(かつらばし)は、修善寺温泉の中心を流れる桂川にかかる橋です。
桂橋は別名「結ばれ橋」と呼ばれていますが、桂川に架かる5つの橋にも、それぞれ恋に関する言い伝えがあります。
桂橋以外の橋では、渡月橋(とげつばし)は「みそめ橋」、虎渓橋(こけいばし)は「あこがれ橋」、楓橋(かえでばし)は「寄り添い橋」、滝下橋(たきしたばし)は「安らぎ橋」と呼ばれ、これら5つの橋をすべて、願いをかけながら渡ると恋愛が成就すると言われています。また5つの橋を渡った後で修禅寺にお参りをすると、恋愛成就を確かなものになるという1~2時間の巡礼ルートも設定されています。また、これから新しい恋を始めたい人には、修禅寺からスタートし、渡月橋(とげつばし)、虎渓橋を渡り、桂橋を経て日枝神社に入るコースが設定されています。いずれも、結ばれるという信仰がある「桂橋」を通ることで、恋愛が成就するということですので、願いをかけながら渡ってみると良いでしょう。

独鈷の湯

とっこのゆ

独鈷の湯
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独鈷の湯は、修善寺温泉のシンボル的な温浴施設です。(現在は見学のみ)伊豆最古の温泉ともいわれており、桂川の川の中にあるのが特徴です。807年に弘法大師が修善寺を訪れた時の有名な古事があります。
少年が病んだ父親の体を桂川で洗っているのを弘法大師が見つけ、持っていた仏具の「独鈷」を使って岩を砕き温泉を噴出させ、そのお湯を使うように勧めたという言い伝えです。
この温泉が病に効くと弘法大師が説いたことから、湯治療法が広まり、修善寺温泉が知られるきっかけになりました。現在の独鈷の湯は、安全性を高めるためにかつてあった場所から川の流れを考慮した場所に移設されていますが、それでも大雨の後などには立ち入り禁止になってしまうことがあります。弘法大師の古事は今から1200年以上前のことですから、修善寺温泉がいかに歴史ある温泉であるかが分かるエピソードと言えるでしょう。

修善寺虹の郷

しゅぜんじにじのさと

修善寺虹の郷
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修善寺虹の郷(にじのさと)は、日本をはじめイギリスやカナダといった国々の特徴的な街並みを再現したテーマパークです。オープンは1990年で、秋には1000本もの「もみじ」が紅葉する圧巻の景色が見られることでも知られています。前身となっているのは1924年にオープンした修善寺公園で、実に100年近い歴史を持ち、その敷地面積は東京ドーム10個分もの広さを誇ります。カナダ村では、2005年に修善寺と姉妹都市になったブリティッシュコロンビア州ネルソン市の町並みが再現されています。ネルソン市には350を超える歴史的な建物があるのですが、中でも1895年から1924年までに建てられた商店や家は歴史を感じさせる外観で、カナダ村でもしっかりと再現されています。入場ゲートを入ってすぐのイギリス村から奥のカナダ村までは、イギリスのドーバー海峡沿いの海岸線を走っている「ロムニー鉄道」を再現した列車が通っています。虹の郷を走っているロムニー鉄道は、同じくイギリスのレーブングラス鉄道の協力も得て実現したイギリス製のオリジナル仕様となっています。

十三士の墓

じゅうさんしのはか

十三士の墓
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十三士の墓(じゅうさんしのはか)は、修善寺にある源頼家の家臣十三人の墓です。この家臣たちは23歳の若さで、源頼家が殺された後反撃をしようとしましたが、実行する前に発見されて殺されてしまいます。そのため、源頼家の墓近くに置かれ、亡くなった後も頼家に寄り添って眠っています。実は、十三士の墓が源頼家の墓のそばに移されたのは比較的最近のことで、それまでは離れた場所に祀(まつ)られていました。2004年 大雨で修禅寺の山が崩れてしまったことがきっかけで、お墓の位置を見直すことになりました。ちょうど2007年が修禅寺の開創(かいそう)1200年にあたるタイミングだったこともあり、「十三士の墓」の供養は丁重に行われ、その際に、源頼家の墓近くに置かれることになったという経緯があります。2007年以降も毎年7月下旬に「頼家まつり」が開催されており、源頼家と十三士の墓前供養が行われています。

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