時国家(本家上時国家)
ときくにけ(ほんけ かみときくにけ)
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上時 国家(かみときくにけ)は、壇ノ浦の戦いで敗れた、平家の大納言時忠(だいなごんときただ)の末裔です。流刑処分(るけいしょぶん)で、平家の落ち武者として町野川(まちのがわ)流域にたどり着きました。
しかし、もはや平(たいら)の姓を名乗れず、時忠は我が子の名前の時国(ときくに)を姓とし、時国家を名乗り始めたのです。平家の家臣を務めた実力者ゆえ、その能力は商売で花開きました。農耕を皮切りに、能登の農産物や海産物を所有する北前船(きたまえせん)で手広く扱い、時国家は豪商として影響力が強まります。
しかし、この地は幕府方の天領を司る大名・土方家(ひじかたけ)と加賀藩・前田家が複雑に入り組み、かつ両家の微妙な関係から13代藤左衛門時保(とうざえもんときやす)が、1631年(寛永7年)に上・下(かみしも)の両家に分立させました。
上時国家は土方家に近く、豪農のともに地域を治める庄屋を務めてきました。そして江戸時代後期、21代当主によって現在の屋敷が完成したのです。
町野川(まちのがわ)沿いで下流にある下時国家を見下ろすような場所に立ち、高さ18メートルの茅葺き屋根が覆う入母屋造(いりもやづくり)はおよそ190坪、完成までに28年の歳月がかかりました。
城郭や寺院を思わせるような門構えだけでなく、大納言の間と呼ばれる最高級の装飾を施した座敷は、時の前田藩当主も入室をためらったといわれるほどの高い格式でした。
〒928-0204
石川県輪島市町野町南時国13-4
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0768-32-0171
国宝・重要文化財
12月6日〜3月14日 冬季閉館
3月15日〜12月5日 9:00~17:00(最終入場16:30)
無休
大人 550円 高校生 440円 小・中学生 330円
最寄りの公共交通機関なし、車利用はカーナビ参照
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